40人以上が亡くなった熊本地震から1週間以上がたった今も、熊本県内には約8万人が避難生活を続けている。だが、そんな被災者たちを笑顔にする出来事が。本震発生の4月16日、赤ちゃんポストとして有名な熊本慈恵病院で4人の新生児が誕生していたのだ。
そんな慈恵病院で起きていた壮絶な「命のドラマ」を、震災渦中に出産したママが語ってくれた。
16日午前3時3分に第二子となる男の子を出産した田島曜子さん(38)は本震当時、陣痛に耐えていた。看護師から「外に避難してください」と告げられたときは思わず耳を疑ったという。
「私は陣痛が激しくなってもうすぐ産まれるかもしれないのに、外へ出るなんて信じられませんでした。だって、上の子のときは出産でトイレに行くだけで『痛くて歩けないので無理です』と言ったぐらいでしたから。お腹も痛いし、エレベーターも止まっている。そもそも歩けるのかという気持ちでした」
それでも避難するしか道はない。彼女は陣痛が弱まるタイミングを見計らいながら、駐車場へと向かった。
「一歩だけ歩いて、痛くなったら止まるということを繰り返していきました。本当に少しずつ。正直、心配でした。でも看護師さんたちが赤ちゃんを運んでいる様子をみたとき、ハッとしたんです。彼女たちは自分で歩けない赤ちゃんたちを助ける必要がある。だから私が頼っちゃダメだと」
ようやくたどり着いた避難先の病院駐車場では、出産を巡り医師たちの意見交換が行われていた。彼女は「駐車場で産まなきゃいけないの!?」と不安でならなかったという。だが結局は、かつて婦人科外来に使っていた空き部屋で出産することになった。
「一応室内ではありましたが、最初は不安でした。でも次第にたくさんの助産師さんが来て『大丈夫、大丈夫』と励ましてくれて。そうしたら『みんなが私を守ってくれる』と覚悟できたんです。出産中はとにかく『次の地震が来る前に早く、早く!』と思っていました。産まれた瞬間は、ホッとしました」
そんな絆が産んだ赤ちゃんは「璃久(りく)くん」と名付けられた。前から決めていた名前で、周囲からは「こんなときに生まれたから、きっとたくましい子に育つよ!」と言われているという。
「地震のなかでの出産は大変だったけど、みんながいたから産むことができたと思います。でも先生たちが『このあと帝王切開が必要な人がまだ2人いる』と言っていて……。私はもう大丈夫。だから早く次の妊婦さんを助けてあげてと強く願っていました」
そんな助け合いによって、ようやく赤ちゃんたちはこの世に産まれてきたのだ――。