5月31日、12分間の判決言い渡しの後、証言台に立っていた清原和博被告(48)は、傍聴席に向かって振り返り、ボソボソと話し始めた。
「傍聴席への謝罪は異例のことです。はじめは傍聴席に誰か知人がいて、何か謝っているのかと思いましたが、彼の視線はずっと下に向けられ、表情も乏しかったですね。2年前に判決を受けたASKAは当時、うつ状態でしたが、清原の様子もASKAと重なりました」(司法記者)
そんな清原が再生の地として選んだのは、前妻や息子たちが住む東京ではなく、故郷・大阪だ。懲役2年6カ月執行猶予4年の判決を受けた日の深夜、彼は支援者が用意したワンボックスカーに乗り、大阪に向かったという。
「逮捕後から清原の面倒を見ていた飲食店経営者のA氏も、うつ状態の清原のために、自分の店を閉めて、大阪で彼の身の回りの世話をするそうです。A氏ら支援者たちが、社会復帰の足がかりの1つとして考えているのが“ラーメン店修業”だそうです。東京都内にある支援者のラーメン店で修業させ、いずれは彼に店を持たせるという計画です。A氏らは、『ラーメン店が評判になれば、いずれは芸能復帰も……』など、今後についてはいろいろ考えているようですが、とにかく清原の薬物依存症が最優先ですね」(A氏の関係者)
故郷での治療について神奈川県立精神医療センターの黒澤文貴医長はこう語る。
「ご両親や友人など、古くから清原さんを知っている人が大勢いるわけですから、リラックスできると思います。しかしデメリットもあります。清原さんが落ちぶれた自分の姿を故郷の人に見せたくない、などと思うようであれば、プレッシャーになってしまう可能性もあるのです」
清原が依存症治療を受けると見られる病院は、実家から車で45分ほどの距離にある。薬物治療に詳しい医療関係者は、こう語る。
「ASKAも受けた『条件反射制御法』で有名な病院です。ほかの依存症治療法としては、グループミーティングなどを行う集団認知行動療法もありますが、集団行動が苦手な清原には不向きでしょう。条件反射制御法では、例えば針のない注射器を用意して、その注射器を腕に刺す“まね”などを繰り返します。依存症患者は最初、注射器を見て興奮しますが、刺しても気持ち良くならないので、次第に使用欲求が減っていくのです」
キー局でのテレビ復帰は、早くても執行猶予が明ける4年後になるという。清原は長い更生計画の第一歩を踏み出したばかりだ。