「何日も悩んでいたのですが、昨夜、決めました。やはりひとりでバングラデシュに行くことにします」
埼玉県・草加駅前のファミリーレストランで、玉木由美さんはそう切り出した。バングラデシュ(以下・バングラ)の首都ダッカにあるレストランが襲撃され、日本人を含む人質20人が犠牲となった7月1日(日本時間2日未明)のテロ事件から、1カ月ほどしかたっていない8月3日のことである。
外務省の渡航危険レベルはその時点で「不要不急な渡航はやめてほしい」という「2」。バングラのハシナ首相からは二度にわたって、「8月中にまた大きなテロが起きる可能性がある」と、注意喚起がなされたばかりだった。
玉木さんは、ダッカの北、車で1時間ほどの距離にあるガジブール県に設立したキリスト教系の学校「YOU&MEインターナショナルスクール」(以下・Y&M)の校長だ。イスラム過激派組織を名乗るテログループが狙ったのが、外国人と非イスラム教徒であったことを考えれば、日本人でキリスト教徒の玉木さんは二重に危険なのだ。
テロに巻き込まれた日本人犠牲者は全員、国際協力機構(JICA)のプロジェクトに参加する企業の社員。バングラのインフラ整備のためにダッカに来ていた人たちだった。
「これまでも、暴動など、危険なことはありましたが、外国人が標的になることはなかった。とくに日本人は、いろいろな支援をしてきたことで、とても感謝されていて、どこに行っても、日本人というだけで『ありがとう』と言われていたほどですから」(玉木さん・以下同)
Y&Mは、「貧しい子どもたちに教育の機会を与え、それぞれの人生に誇りをもって生きてほしい」という願いから、玉木さんがバングラ人の牧師夫婦とともに立ち上げ、運営している学校だ。さりとて、テロリストの標的にならない保証はどこにもない。
これまで何があってもバングラ行きを止めなかった長男・聖一さん(28)も、「今度ばかりはやめたほうがいいよ」と、言ってきた。悩みに悩んだ末、玉木さんが出した結論が、冒頭の言葉だ。力強く言い放った彼女のその表情には、晴れ晴れとしたものがあった。彼女は覚悟を決めていた。
「何があっても平常心で、同じペースで、これからも現地と関わろうと、決意しました。今回は1カ月弱の旅程を4泊5日に減らすことにしましたが、予定の用事をこなすことより、共同経営者のリナさんや現地スタッフの無事を確認し、子どもたちの健康や成長をみんなで喜び合いたい。電話やメールではできない、お互いのぬくもりを確認することが何より大事ですから」
玉木さんは、2人の息子に宛てた「遺言状」まで書いて、バングラへと飛び立ったのは8月8日のことだった−−。
バングラに渡った玉木さんは、朝礼で、子どもたちに7月に起きたテロの話をした。
「犯人グループは、マレーシアで大学まで行ったエリートたちでした。学歴で上にのぼることも人生の目的かもしれませんが、もっと大切なことは人と人が温かい結びつきをもって、自分と違う人のことも尊重し、自分も相手も大切にして、助け合っていくことです。今、世界でいちばん求められていることは『平和』です。それをバングラから発信していきましょう」
習字の授業で、子どもたちは半紙に墨と筆で「平和」と、漢字で書いた。ベンガル語では「シャンティ」だ。それを一人一人、誇らしげに胸に掲げる子どもたち。笑顔が輝いていた。
大きな覚悟でバングラ入りした玉木さんだったが、学校は何ひとつ変わっていなかった。いや、テロがある以前よりも、もっと穏やかで優しい、明るい平和に満ちていた。