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「タイトルは、『ニッポンのハロウィン』でいきます!」「背景は妖艶かつシンプルな和のイメージで!」。10月14日午後3時。神奈川県川崎市にある会社・チッタエンタテインメントの会議室では、映像や音楽関係など社内外の18人のクリエーターたちが丁々発止の議論を闘わせていた。

 

2週間後に迫る「カワサキ ハロウィン2016」。いまや渋谷、六本木ともに日本3大ハロウィンと呼ばれるカワハロだが、市民といっしょに開催する「町おこしハロウィン」としては元祖であり、国内最大規模の12万人の集客数を誇る。

 

さらに今年は20周年の節目でもある。目玉企画であるプロジェクションマッピング(※壁や建築などの表面にプロジェクターで映像を投影する手法)の最後の詰めが、総合プロデュースを行うチッタ社で行われていた。

 

「そもそもハロウィンのきっかけは、私が’87年に始めたシネマコンプレックス(※複合映画館)・チネチッタの10周年記念で、何かイベントをやろうと決まったことでした」

 

そう20年前をふり返るのは当時、「カワサキ ハロウィン」の総合プロデュースを行うチッタエンタテインメント・プロモーションで社長職にあった、“日本のハロウィンの母”美須孝子さん。

 

’97年10月31日、1回目のカワハロは、チッタ社の敷地内ともいえるチネチッタ商店街と隣接する2つの商店街だけという小規模で開催。仮装パレードに150人、沿道に500人と発表されたが、パレードの半分はさくらだった。

 

「私も最後尾でパレードに参加しました。そうです、さくらです!仮装メークこそしませんでしたが、魔女のマントをちょっとおしゃれに羽織りました」(孝子さん)

 

’14年には市場経済効果が1,100億円を超え、バレンタインを抜く国民的イベントに“化けていた”ハロウィン。今では10月に入った途端、街はおばけカボチャのオブジェで埋めつくされ、月末には仮装した人が街にあふれるのが日本の秋の風物詩となっている。

 

もともとハロウィンは古代ケルト人の収穫祭と悪魔払いの祭り。10月31日は彼らにとって大みそかのような特別な日で、魔女がやってきたときに、仲間と思わせて魂を取られないために仮装する。

 

日本では’80年代初めにキデイランド原宿店で仮装パーティが行われ、’97年からは神奈川県川崎市でパレード、そして東京ディズニーランドでイベントがスタートし、徐々に浸透していった。

 

「カワサキ ハロウィン」20周年の今年は、プロジェクションマッピングだけでなく、特別企画も目白押しだ。

 

「今年は車いすの方のパレード参加も公式に受け付けています。また10月31日の月曜日には、『ゾンビ・パラダイス』として、週末に各地で頑張ったゾンビたちにも川崎に再集合してもらおうと思っています」(チッタ社本部長・土岐一利さん)

 

なんと、このたびはライバル渋谷や六本木の若者まで川崎に集めるつもりらしい。孝子さんの息子で、’15年に社長に就任した美須アレッサンドロさん(38)はこうに語る。

 

「最近、カワハロも20年たって、ちょっと安定路線を走ってしまってたかなと(笑)。ここは原点回帰で、ますますとんがっていきますよ!」

 

そんなアレッサンドロ社長の言葉を受けて、大きくうなずく孝子さん。

 

「そう、自分が楽しんでチャレンジし続けなきゃ、みなさんに楽しんでもらうこともできない。これからカワハロはどこに向かうんでしょうね。それを考えるとワクワクします」(孝子さん)

 

気付けば、ハロウィンまでカウントダウンが始まっている。川崎はじめ各地のパレードの笑顔が、日本の秋を元気に盛り上げる!

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