「おはようございます。今日も1日よろしくお願いします!」
東京・亀戸駅前のユニクロアトレ亀戸店で、開店前の朝礼が始まると、チン・ハウルンさん(27)はスッと背筋を伸ばし、その日の申し送りを真剣に聞き入っていた。レジ打ちから接客、ときには店長業務も代行するハウルンさんはミャンマー出身の難民だ。
「以前は、オシャレに縁がなく、自分の顔を鏡で見ることさえなかったんですが(笑)」(ハウルンさん・以下同)
ハウルンさんが日本へ来たのは’07年。当時のミャンマーは軍事政権が国を支配しており、民主化運動は弾圧され、その指導者アウン・サン・スーチーさんが、軟禁を強いられていた時期だった。ハウルンさんは当時、ミャンマーの大学生。政治活動に参加したことがきっかけで、身の危険を感じるようになったという。
そもそも「難民」とは、政治的意見や宗教、民族などを理由に迫害を受ける恐れがあり、自分の命を守るためにやむをえず母国から逃げざるをえない人のこと。つまり国に帰れば、命の保証がない人たち。当時のミャンマーでは、政治活動に参加しただけで逮捕されることはザラだった。
「どこへ行くかを選ぶ余地もなく、親戚が住んでいる日本へ行くしかなかったんです」
ハウルンさんは、親戚を訪ねるという名目で観光ビザで来日。ほどなく難民申請の手続きを始めたが、認定が下りるまで数年かかっている。
「親戚の家があったので、住むところには困らなかったのですが、難民認定が受けられなければ、まともな仕事につけません。『認定を受けられず、強制送還されたら』と、不安にさいなまれて過ごす日々はつらかったですね」
難民と認定されれば、日本での定住資格が与えられ、迫害を受けるかもしれない母国へ強制送還される恐怖から解放される。国民健康保険にも加入でき、仕事も紹介され、日本語学習などのプログラムも受けられる。難民と認定されるかどうかで、まさに天国と地獄ほど差があるのだ。
「認定されたときは、『やっと前に進める』という安堵感でいっぱいでした。日本で働いて、ミャンマーにいる両親を支えたいという思いもいっそう強くなりました」
ハウルンさんは認定者に用意された「生活ガイダンス」で、ユニクロのインターンシップ(就業体験制度)を知った。ユニクロを展開する株式会社ファーストリテイリングは、’06年から難民キャンプに衣類を届ける活動を始め、’11年から国内で認定を受けた難民とその家族に、ユニクロ店舗でのインターンシップの機会を提供。本採用の道も開いている。
’13年9月から働き始めたハウルンさんは、翌年、同社の難民スタッフ初の正社員に昇格した。
「最初は専門用語がわからなくて大変でしたが、わからないことは素直に聞き、教えてもらっていますから大丈夫。幼いころから、私はおしゃべりでしたから(笑)」
来日時には全く日本語が話せなかったことが信じられないほど、今では流暢に日本語を操る.どんな仕事もこなす彼女は現在約30人いる難民スタッフたちの憧れであり、ロールモデル(模範)となっていた。
「今は故郷の家に仕送りもできています。ネットもつながりますし、家族とのメールは頻繁にしています」
そう語るハウルンさんの声は弾んでいた。