ちょうど5年前、“50歳で東大に合格した主婦”のニュースが、世間をにぎわせたことを覚えているだろうか。安政真弓さんが、1年間のフランス留学を経て、伝統のガウンを翻しながらいま、卒業を迎えた。受験を決めたあの日に人生が180度変わった。お金にも環境にも、決して恵まれていたわけじゃない。それでも50歳で単身上京し、東大生となった、本当の理由は−−。
「東大合格は、母を喜ばせることでもあり、同時に母から離れるチャンスでもありました。あのころの私にとっては、ギリギリの選択だったんです」
通い慣れた東大・駒場キャンパスのカフェ。早春の陽光のなかで語られた言葉の真意は、安政真弓さん(55)の生い立ちを聞いて、ようやく理解できた。
安政さんは’62年1月21日生まれ、兵庫県姫路市の出身。共に教える仕事をしていた父(84)と母(83)、そして妹(53)、弟(47)の5人家族の長女だ。
「父は高校の数学教師、母は洋裁の先生。世間的に見たら非の打ち所のない、私にとっても常に正しい両親でした。でも、子どものころの私は、いつも母に怒られていました。靴の脱ぎ方が悪い、飲み物をこぼしたなどのささいな理由で、母は瞬間的に沸騰し、烈火のごとく怒鳴るんです。いつしか、つねに人の顔色を見る子になっていましたね」(安政さん・以下同)
中学生になると、ひそかにある決心をする。
「『母に逆らわない人生』を送ると決めたんです。都合のいいことに、私は勉強ができた。従順で成績がよければ、母はいつもニコニコしている。怒ったときの恐ろしい顔を見ずにすむなら、そのほうがラクだと思ったんです」
服装も、食べ物も全部、母の好みに合わせた。母は「私とあの子は、おんなじ趣味なのよ」と、会う人ごとにうれしそうに自慢したという。地元の名門県立高校を卒業後、東大を受験するが不合格。2浪の末に、早稲田大学第一文学部へ進学した。卒業後は故郷で学習塾に就職後、見合い結婚。結婚の翌年に長男(27)、3年後に次男(24)が誕生する。
次男が幼稚園に入った35歳のとき、ママ友になったAさんが、安政さんの母にそっくりだった。最初はふつうに仲よくしていたが、次第に何をするにも安政さんに命令し、支配しようとするようになった。
「あなたは私がいないと不幸になる」と言われ、安政さんも、なぜかそれに応えてしまうようになる。苦しかった。
「なぜ、私はAさんの言うことを聞いてしまうんだろうと。もう彼女が怖くて、そんな自分も恐ろしくて……。誰かの手を借りようと、心療内科に駆け込んだんです」
カウンセリングを重ねるうちに、医師は「あなたの問題の根本は、Aさんとのトラブルではなく、実母との関係。『共依存』です」と言った。この言葉が、ストンと腑に落ちた。共依存とは、特定の人間関係に過度に依存してしまうこと。他者の好意を得ようとして自己を犠牲にしたり、他者の好意や他者自身をコントロールしたりと、互いに依存することで安心を得て、正常な判断ができない精神状態だ。安政さんは、ずっと母と共依存状態にあったのだ。
「母からは、結婚後も、夫が母の気に入らないことをしたというだけで『子どもを連れて実家に帰りなさい』と言われ続けていました。夫を取るか、母を取るかの、どちらかを迫られ、精神的に参っていた。このままでは自殺するとはっきりと感じた日、なんとか踏みとどまろうと、病院に駆け込んだのでした」
どん底から安政さんを救ってくれたのは「もっと楽に生きて」と助言をくれた親友らの存在、そして幼いころから親しんできた「勉強」だった。共依存についても多くの本を読み、学んだ。
「本を読んで、共依存にはわが子への連鎖の恐れがあることを知るんです。息子たちのために、自分で断ち切らなければならないと思いました」
新しいことを始め、自分の基準で判断するリハビリの日々が始まった。まず、自宅で中学生向けの塾を開講。英検や仏検にチャレンジし、海外に一人旅に出かけ、陶芸の勉強も始めた。集中して勉強していると、自分の中にこだまする母の声を振り払える。さらに素晴らしいことに、新しい世界が広がる喜びがある。安政さんは49歳で自ら東大受験を決意。50歳での合格へとつながったのである。
「実は東大入学後も、共依存を引きずっていました。突然パニックになり、キャンパス内のクリニックに駆け込んだこともあるし、カウンセリングや投薬も受けていて、フランスにも薬を持参しました。それが、東京で生活し、勉強に没頭するなかで『私はもうだいじょうぶ』とふと実感できたんです。もう母の目も、周囲の視線も気にしなくていいんだと。自力でできるだけのことをしてきた東大の学生生活が、私の人生を180度変えてくれました。だから、いまは4月からの計画も臆せず話せます。私は物書きになります。戯曲を書くんです!」
きっぱりと、笑顔で前を向いての宣言だった。55歳の東大卒業は、まだまだ終着点ではない。