「大学時代、ちょうど吟醸酒ブームもあり、居酒屋などでも日本中のお酒が飲めました。味も淡麗だったり、酸味があったり。香りも吟醸酒の華やかさや純米酒のお米特有のふくよかさなどさまざまで、奥の深い世界だと、どんどんのめり込んでいきました。杜氏という職業についてもこのころに知りました」
こう語るのは、国内有数の酒どころとして知られる京都・伏見で、江戸時代から続く老舗の酒蔵である招徳酒造の女性杜氏である大塚真帆さん(42)。彼女は伏見で唯一の女性杜氏で2児の母親でもある。
杜氏とは、その年の酒づくりの方向性を決め、完成まで陣頭指揮を執る最高責任者。酒蔵といえば“女人禁制”で、杜氏も老練な男性の職人が担うイメージが強いが、近年、全国で女性も登場しつつある。とはいえ、まだ数は少なく、招徳酒造でも女性杜氏は大塚さんが初めて。現場で働く蔵人も全員が男性だ。
大塚さんは、’75年2月5日生まれ。技術者の父親(73)、専業主婦の母親(68)と妹(40)の4人家族に育った。中学3年のときに滋賀県へ引っ越しし、県立膳所高校時代は柔道部に所属。高校卒業後は1浪して京都大学農学部へ。大学院に進み、やがて就職を考える時期を迎える。
「そのまま研究室に残る仲間もいましたが、私はコツコツ文献を読むのは向いていないと思ったし、食品メーカーや公務員もピンとこなくて。そんなとき研究室の先輩で、広島の酒蔵に就職した男性がいると知ったんです。同じころ、たまたま古書店で日本酒に関するルポを読んだこともあり、これや!と思いました」(大塚さん)
志望する就職先は、酒蔵一本に絞った。しかし、本人の意気込みとは裏腹に、想像以上に酒蔵の門は固く閉ざされていた。
「就活は実家のある滋賀の酒蔵から始めましたが、どこも『バイトなら』という返事ばかり。女性だから敬遠されたというより、すでに日本酒の需要が落ち込んでいたことも背景にはあったと思います」(大塚さん)
卒業を間近にした2月だった。会社訪問した滋賀の酒蔵の社長が「伏見の知り合いが求人を出している」と、紹介してくれたのが、招徳酒造だった。
「社長と面接すると、ちょうど事務の女性が出産退職するので欠員があるとの話でしたが、私はとにかく『酒づくりがしたいんです』とアピールして、一応、製造部での採用になりました」(大塚さん)
’00年4月に入社したが、危惧していたとおり、事務的なしごとばかりが続く。たまに現場の作業が入ったと思えば、瓶詰めだったり……。大塚さんは焦った。入社してから半年ほどして10月となり、日本酒の仕込みが始まると、つらい気持ちはピークに達した。
「これでは酒づくりをしないままで終わってしまうんじゃないかと、悶々とした日々を過ごしていました」(大塚さん)
行き詰って、広島の酒蔵で働いていた先輩に相談したところ、返ってきたのは「自分でできることは全部やったのかい?」。そのひと言で、自分の甘さに気付かされたという。
「それから毎日、早朝の3時から蔵に通いつめて、ベテランの杜氏さんの仕事をひたすらメモしました。そうなんです。かろうじて当時まで、300年間続いてきた、昔ながらのスタイルの杜氏も働いていたんです」(大塚さん)
小さなノートを手に、酒づくりの要点を逐一メモし続けた。やがて、ベテラン杜氏も、大塚さんに少しずつ言葉をかけるようになっていく。
「ときには、モタモタしている私に『早くせんかい!』と蔵中に響くような怒鳴り声でしたが(笑)。それでも、酒づくりはできないかもと悩んでいた日々を思えば、本当に充実した毎日でした。いちばん学んだことは、酒づくりは共同作業で、みんなでつくり上げていくものだという心構えでした」(大塚さん)
だから、一人一人が自分の持ち場を決して手を抜いてはいけない。この教えを守り続けた大塚さんのことを、周囲もまた見守っていた。入社から5年後、ベテラン杜氏の引退とともに、抜擢されたのは大塚さんだった。木村紫晃社長(62)が語る。
「彼女が入社してきたのは、まさに世代交代の時期やったんです。うちの会社にとっても、日本酒業界にとっても。メモは一つの象徴にすぎなくて、私は、その真剣さを買いました。『うまい酒をつくりたい』という熱い思いですね。それが誰より強かったのが、たまたま女性の大塚くんやったということ」(木村社長)「
だが、周囲には女性杜氏を歓迎しない声もあった。
「中学や高校を出てすぐに蔵に入った働き手が多いなかで『大学院出の女のコが杜氏って、なんでやねん』という意見もありましたが、私が押し切りました。彼女が学んできた作物学などの学問も、これからの酒づくりには武器になると確信していましたから」(木村社長)
周囲の驚きと期待を背に、大塚さんは、創業以来初、伏見でも初めての女性杜氏となった。
「300年前と同じ蔵での日本酒づくりを通じて、私たちは先人とつながっていると日々感じています。つねに挑戦を恐れずに、新旧の技法のよさを次の世代に伝えていきたい」(大塚さん)