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「うちはね、みなさん、2世代、3世代の長〜いお付き合いです。というのも私は“日本最古の女性獣医師”ですから」

 

そう語るのは、都内の赤坂見附駅からほど近いビルの2階、「365日開院・夜間急患対応」を実施している「赤坂動物病院」の総院長の柴内裕子先生(81)。“日本最古”という自己紹介は裕子先生の定番だが、決して大げさな話ではない。獣医師を志すきっかけは、戦時中にまでさかのぼる。少女のころにかわいがっていた犬や動物を、理不尽な戦争のため次々に失った体験からだ。その決意を貫き、この赤坂で、日本で初めて開業した女性獣医師となったのが27歳のとき。

 

「当時は、ほとんどの動物病院にレントゲンもない時代。フィラリアの予防薬もなく、犬の寿命も7〜8年という、日本のペットと飼い主にとって実に不幸で情けない時代でした」(裕子先生)

 

世界から30年はゆうに遅れていたというペット環境途上国の日本社会のなかで、裕子先生はペット相談や飼育書の出版などの啓発活動に加え、いちはやくアニマルセラピーを導入。ペットを連れて小学校や病院などを訪問する「人と動物のふれあい活動(CAPP)」は、昨年30周年を迎えた。

 

「’86年当時、先進国ですでにスタートしていた、人と動物との絆“ヒューマン・アニマル・ボンド”の理念を日本の社会に広げたいと願いました」(裕子先生)

 

ボランティアの飼い主が、自身の愛犬などを連れて高齢者施設や小学校、病院を訪ねる活動では、その“家族”として動物たちの力を借りた。

 

「衛生問題なども、獣医師の団体として、世界基準をクリアしていきました」(裕子先生)

 

良き理解者にも恵まれた。

 

「小児病棟に最初に入れたのは’03年で、聖路加国際病院でした。名誉院長の日比野重明先生が『動物たちは生きる力を与えてくれる』と賛同してくださったんです。これまでの全国での訪問回数は約1万9,000回で、1度の事故も、アレルギー問題も起こしていないことは、世界に誇れる本会の実績と自負しています」(裕子先生)

 

小林美和子さん(76)は、CAPPのチームリーダーの1人。裕子先生と、東日本大震災後に宮城の被災地を愛犬クレールとともに訪問した。仙台の仮設住宅の集会室には、20人ほどの子どもやお年寄りが待っていた。

 

「まず手をグーにして、犬の鼻先に持っていってください。犬がクンクンとあなたの匂いを確認したら、次はパーにして、アゴの下を『いい子ね』と言いながらなで、リラックスさせてあげてください」と小林さんが説明すると、子どもたちが目を輝かせて、最初は恐る恐る、やがて犬の体にふれた。

 

「わあ、モコモコしてる」「あっ、動物って、温かいんだなぁ」

 

小林さんは、そのとき集会室の奥にたたずんでいた3きょうだいの姿が忘れられないという。

 

「みなさん、娯楽からは遠ざかっていたはずなのに、3人だけが近くに来ないんです。仮設のスタッフに聞いたら、両親を亡くしたきょうだいたちだと。きっと犬の大好きなご家族だったと思うんです。最後までいてくれましたから。少しでも気持ちが癒せたかなと、胸が詰まって泣きそうになりましたが、ボスである裕子先生から、活動の間は涙を見せてはいけないと教えられていますから、グッと我慢しました」(小林さん)

 

’12年から裕子先生がスタートさせたのが、高齢になってからこそペットと暮らそうと呼びかけるプログラム「70歳からパピーとキトンに挑戦」。きっかけは、すでに3世代にわたる付き合いの飼い主のひと言だった。愛犬を失ってペットロスになっていた60代後半の彼女は言った。

 

「もう年だから、犬を飼えないのは寂しい」

 

その気持ちを裕子先生は理解した。裕子先生の意思をくみ取って病院スタッフのなかから活動を支えるチームができ、いくつかのルールが設定された。75歳を過ぎたら2週に1度は電話をして近況伺いすること、80歳を過ぎたら動物看護師が定期的に訪問してフォローする。そして、「大丈夫!万が一、あなたに何かあったら、その後のペットの面倒はウチ(赤坂動物病院)がしっかりと見ますから」という、裕子先生の言葉に大きな安心を得て、いまでは多くの70〜80代の飼い主がペットとの生活を楽しんでいる。

 

「犬や猫といると、リラックスできます。緊張がほぐれると、副交感神経が働き、幸せホルモンのオキシトシンが出ます。これが病気にならない秘訣です。動物との暮らしでは、生きがいができるだけでなく、散歩の距離は3倍に、友達の数は5倍に増えるといいます。だから、私も、実証者としては、まず女性の平均寿命まで長生きしないといけませんね。あと少し、いえ、まだまだ頑張らなきゃ!」(裕子先生)

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