数ある日本の伝統織物の、最高峰と位置づけられる京都「西陣織」。なかでも、ひときわ高度な技術が必要とされるのが「爪掻本つづれ織り」だ。その工房の1つを訪ねると、伝統や格式を謳う工芸品が生み出される場にはどうにも似合わない、イマドキの曲が流れていた。
「私ね、『嵐』の大ファンなの(笑)。デビューしたころから応援していて、ファンクラブにも入ってるんです。お気に入りの曲は……ちょっとマニアックなんですけど『ギフト』。家族の誰かのことを歌ってると思うんですけど、大切な人から背中を押してもらった、そんな歌です」
そう語るのは、京都西陣織・伝統工芸士の小玉紫泉さん(65)。小玉さんが手がける爪掻本つづれ織りは、“手技を超えた爪先の技”と称されるほど、繊細な技術が求められる。
機(はた)の脇から杼(ひ)を反対側まで一気に飛ばし、経(たて)糸全てに緯(よこ)糸を通して織るのが一般的な機織りの手順。
ところが、小玉さんは何十本と張られた経糸のほんの一部、数本だけを杼ですくい取るようにして、その部分だけに緯糸を通して絡めていく。そして、鋸の刃のようにギザギザに削った自分の爪を使って、いま通したばかりの緯糸を「キュキュキュッ」と音をさせながら掻き寄せる。この細かい手法を用いることで、キャンバスに絵を描くように、さまざまな色糸で柄を描いていけるのだ。
「だいたい緯糸5本、つまりいまの作業を5回繰り返して、絵柄が1ミリほどできます。縦20センチの絵柄を織ろうと思ったら1,000回。柄の色ごと、糸ごとにそれを繰り返すので……1日かけてもほんの少ししかできません。細かく難しい柄になると、朝から晩まで根詰めて作業しても、織り上がりはたった1センチ、なんてことも多々あります」(小玉さん・以下同)
極限まで張り詰められた経糸が、ときおり弦楽器のような音を立てる。踏み木も踏むたびにパタンパタンと音を出す。そして、あのキュキュキュッ……。小玉さんの爪先からはさまざまな音が、リズミカルに鳴り続けている。
「この仕事を始めて10年ぐらいは、歌のある曲はやっぱり作業の邪魔に思えて聴けなかった。でも最近は、集中力が増したのか、気にならなくなりました。歌が耳に入らないくらい手元に集中していて『あ、いいとこ聴き逃した』と巻き戻すことも(笑)。でもね、弟子たちが横で作業してるときは、彼女たちが織っている機の音を聞くために音楽はかけません。打ち込みの音がおかしかったらムラができてるし、糸が引き攣れたことも音でわかります。同時に弟子が何人、作業していても、誰の機がどんなトラブルを起こしてるか、わかるんです」
これまで、文部科学大臣賞など、名だたる賞を数多く受賞してきた。加えて、音だけで、弟子の織りの状態を把握できるなど、小玉さんの立ち位置は名人、達人の域だ。だが、そのキャリアのスタートは意外にも28歳と遅かった。
「この世界だと28歳でも中年のおばちゃんだといわれましたね。しかも、最初は主婦のパートだったんです。結婚した夫の実家が京都で。夫の両親と同居を始めたとき、たまたま見つけたのが、近所のつづれ屋さんの『織り手募集』の張り紙。そこには『素人可』と書かれてたんです」
大阪生まれ、西宮育ちの小玉さん。父親は普通のサラリーマン。それまでに京都で暮らしたこともなければ、織物や伝統工芸とも、まったく無縁の生活だった。
「だからね、私は“西陣の異端児”なんですよ」
西陣織の旧態依然とした男社会の壁など、さまざまな問題を乗り越え、小玉さんは新しい作品を世に送り続けた。現在、小玉さんの活動は、アジア、アメリカ、そしてヨーロッパと、海外にも広がりを見せている。’10年には、女性伝統工芸士の仲間とパリでショーを開催した。
「京都ではね、出る杭は打たれるじゃなしに、出る杭は抜かれるっていうんです。存在を消されちゃうの。ただ、やっぱり出すぎた杭は消しようがない。私はこの先も、もっともっとはっちゃけて、誰にも消せない杭になってやる、そう思っているんです」