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日本初のフードコーディネーター養成校「祐成陽子クッキングアートセミナー」の創立者であり、校長でもある祐成陽子さん。御年80。その教え子は4,000人を超え、本誌にもなじみのある寺田真二郎さんなど、人気の料理家やフードスタイリストを数多く輩出している。

 

80歳にして今も現役で、トップランナー。しかし驚くことに、「ようやく準備が整った感じ」なのだと言い、「これから人生に花を咲かせますよ!」と意気揚々だ。

 

料理の世界で起業したのは、1976年のこと。最初はケーキ専門店のオープンだった。今でこそ30代後半での起業は珍しくないが、女性が外で働くことにまだまだ多くの抵抗があった時代だ。

 

「20代のころ、団地の小さなキッチンに近所の奥さんたちを呼んで、家庭料理の教室を開いたのがすべての始まりでした。収納もままならないスペースだったけれど、みなさんからの『おいしい!』の言葉がうれしくてね。料理をすることも、それを素敵に見せることも大好きだったから、その“好き”をひたすら続けていたら、気づけば50年以上がたっていたんです」(祐成さん・以下同)

 

まずは、できることから――。

 

「最初は団地のキッチンだったから、狭いのは仕方ない。ならば、せめてテーブルの上だけはと思って、いつも箸置きとランチョンマットを手作りして、自分の世界を演出していました。みんな、いろいろ理由をつけてやらないけれど、今できることを探せばいいのよ」

 

このポジティブな性格は、子どものころからだったと振り返る。

 

「“陽子”という名前のとおり。勉強はできなかったけれど、明るい子でした。同級生を笑わせるのが大好きだったわね。顔が大きいとか、背が低いとか、それなりにコンプレックスはあったのかもしれないけれど、毎日を楽しむことに忙しすぎて、深く悩む暇なんてなかった」

 

足が太いことに気づいたのは、50歳になってから。

 

「遅いでしょう? 集合写真に写る自分の姿を見て『あれ?』って(笑)。でも、年をとればなおさら“見てくれ”じゃないし、今はそれさえトークのウリですよ」

 

いつでも、明るく豪快。けれどその一方で、じつはとても心配性の面があり、そのおかげで今の自分があると自己を分析している。

 

「学生時代、全日本のシードに入るテニス選手だったんです。でも、練習不足を自覚していて、試合ではいつも不安で仕方なかった。結果も出せなかった。準備がいかに大切か、そのときに学び、本当は気が弱い自分も思い知りました」

 

だから今は、何事も最悪のケースまで考えて準備をし、そのための時間は惜しまない。

 

「準備期間は長ければ長いほどいいのよ。私、経験のないことは失敗する、と思っているんです。だから、年齢を重ねるということは、できることが増えるということ。今年80歳になって、怖いものなしで大いばりしていますよ(笑)。今はキッチングッズの発明が楽しくてね。80年かけた準備を生かす時がきた、とワクワクしているんです」

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