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「神式、仏式……いずれにしても、葬儀や告別式はしないでほしい。40年以上前に登録してある大学の解剖学教室に、すぐ献体の手配をしてほしい……」

 

家事・生活評論家の草分けとして、30代半ばから本誌や新聞各紙などに執筆してきた吉沢久子さんが、3月21日、心不全のため都内の病院で息を引き取った。享年101。冒頭の言葉は生前、親族に伝えていたもので、その希望どおり、ご遺体は献体され、葬儀・告別式も一切、行わなかったという。

 

吉沢さんが80代に差し掛かったころから約20年、身の回りの手伝いをするために自宅に週1度、土曜日に通っていた、甥の妻にあたる青木真智子さんが、吉沢さんの「思い」を振り返る。

 

「先生(=吉沢さん)は最後まで『死んだあとは何もわからないんだからお葬式なんかいらない。知りもしないお坊さんが来て、無宗教の私にお経を読まれても意味がないから』と。ですから『絶対やっちゃいけないんだ』と、私も心していたんです」

 

吉沢さんの死から10日ほど、「すこし落ち着いた」という青木さんが取材に応じ、最期の日々の様子を話してくれた――。

 

「先生の人生から、言葉から、私が学んだのは、『ものの見方、受け取り方を表面だけで見てはいけない』ということでした。人の嫌な面を見てしまうと、『いやだな、つきあいたくないな』と思いがちですが、先生は『その人のいいところも見てあげなさい。どんな人にも、いいところはあるのよ』とおっしゃっていました」

 

1918年、大正7年生まれの吉沢さんは、16歳で新聞社に入社後、速記者を経て、高名な文芸評論家の古谷綱武さんの秘書となり、後に結婚した。ご主人の仕事上の「来客」にも、高価な食材ばかりの豪華料理ではなく、そのときどきで手に入る食材を工夫して調理したという。また、青木さんによれば。

 

「お手紙や贈り物も、どなたから届いたものかすぐにわかっていました。そのうえで富や地位で区別することなく、すべて丁寧に扱っていた。どんな方にも、分け隔てがなかったんです」

 

人の嫌な面に気づいても、「いいところ」に目を向けてみる。相手の地位や自分への利益だけで人を判断せず、誰にでも平等に、分け隔てなく接する。そんな振舞いが、人と人とのつきあいを円滑にした。人間関係を円滑にするために、吉沢さんが徹していたことがほかにもある。

 

「『周りに迷惑をかけない』ということを心がけていました。葬儀や告別式を行わなかったのもその一環だったと思います。人が亡くなると突然行われるのが、葬儀ですよね。『突然、お知らせして、迷惑をかけるのがつらいから』と、先生はおっしゃっていたんです」

 

いつも浮かべる柔和な笑顔と優しい口ぶりの中にも、一本筋の通った意志が感じられた吉沢さんの101年の人生だった。

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