本誌5月7日号にて、人生100年時代を生き抜くために「元気の秘訣を」教えてくれた大正生まれの女性たち。いつまでもエネルギッシュに活躍する彼女らが、「言い残したことがある!」と語り始めたのは、新時代を迎えるにあたっての、社会、そして女性たちへの“激励メッセージ”だった――。
「私は、人それぞれ、さまざまなものを詰め込む“人生のずだ袋”を持っているってイメージしています。いいことも悪いことも、全部その中に入れて、生きている。年齢を重ねるごとに袋の中は膨らんで、熟成されて、深みが出てくる。そう考えると、悪いことや失敗だって、人生の糧になると思えますよね」
朗らかにほほ笑むのは、最高齢の現役ピアニストである室井摩耶子さん(98)。彼女の“ずだ袋”には、90年以上に及ぶピアノ人生が詰め込まれているという。
「ピアノを習い始めたのは、大正から昭和に時代が変わるころ。昔は、芸事を始めるのは6歳といわれていて、父は『昭和になったのだから、お琴を習うのも』と、ピアノを買ってくれたんです。それが、昭和天皇ご即位を記念したモデルで、譜面台に鳳凰が彫ってあるもの。いまも九州の調律師の方が持っているそうです」
昭和13年に東京藝術大学音楽学部の前身である東京音楽学校に入学。戦時下の昭和18年に、日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のソリストとしてデビューした。デビュー後から“現代音楽の室井”と称されるほどその実力を評価された彼女だが、“何かが足りない”と感じていた。
「その“何か”を知るためには、音楽の本場であるヨーロッパに住まなければと、34歳のときにドイツへと渡ったんです。女の子一人で、はるばるよ(笑)」
いまと違い、気軽に海外に渡ることができない時代。戦後、分断を余儀なくされた西ベルリンに拠点をおいた。
「“ソ連の占領下になる”という噂が流れて、近所では大騒ぎになったことも。銃剣を持った人に、政治的思考を聞かれることもありましたが、私はピアノがうまくなりたい一心でしたから、怖さは感じませんでした」
そこで彼女が得たものは、日本人にはない価値観だったという。
「ヨーロッパでは“自分がどう思うのか”が最優先。日本人と違って、人の評価は後回しです。ヨーロッパでも活躍できましたが、61歳で帰国しました。還暦を過ぎての決断によく驚かれますが、どうしても日本でもう一度活動したかったから」
演奏家の中には、楽譜を見ながら演奏することに抵抗を抱き、暗譜できなくなった段階で現役から退くケースもあるという。
「でも、私はまだまだ現役でいたい。年をとれば“できないこと”があるのは理解していますが“やりたいこと”は諦めたくないの」
室井さんの“やりたい”は止まらない。90歳を超えて、自宅の建て替え工事も行った。
「私、ずっと平屋住まいだったから、階段のある家にあこがれていたんです。人生の最後に、夢をかなえたくて、“危ないですよ”という周囲の声もあったのに我慢できず、2階建てにしちゃった(笑)。周りの人たちには、『90歳を超えても、夢をかなえたっていいじゃない』、って」
何事も経験、それは人生に彩りを与えてくれるから、“遅すぎる”なんてことはないのだ。