名古屋市港区にある特別養護老人ホーム「港寿楽苑」。技能実習生・馬招平さん(30)は、まだ少したどたどしい日本語で、懸命に利用者の女性に声をかけている。
「ハイ、○○さん、ジュースですよ、おくち、あけてください」
誤嚥防止のとろみがつけられたジュースをスプーンですくっては、女性ののみ込むスピードを見計らいながら、慎重に口元に運ぶ。笑顔を絶やさない馬さんに、介助を受ける80代女性の顔にも、自然と笑みがこぼれる。
中国・浙江省出身の馬さんは、昨年9月から現場で働きながら日本の介護を学び始めた。そして、そんな彼女に優しいまなざしを送っているスーツ姿の女性がいた。
「もう、だいぶ慣れましたね」
一息ついた馬さんにこう語りかけた女性は張悦さん(38)。彼女は、馬さんと同じく中国で生まれ、18年前に来日した。’14年に福祉専門のコンサルタント会社を起業。アジアと日本の福祉関係企業を結ぶ仕事をいくつも手がけた。一方でいま、尽力しているのが、馬さんのような外国人介護人材の、日本への定着支援活動。
’16年には国境を越えた介護のつながりを作る勉強会「ワールドケアカフェ」を立ち上げ、定期的に開催し続けている。国内外の福祉事業者や日本人、外国人双方の介護従事者が集い、それぞれが実感している課題について意見を交換する。
張さんの思いはただ一つ。誰でも働きやすい、グローバルな環境を整えることだ。
今年4月、改正入管法が施行された。改正前、日本で働く外国人はおよそ146万人。それが今回の改正で、この先5年間でさらに最大34.5万人を受け入れるとしている。介護現場にも国は今後、新たに5万~6万人の外国人人材を投入できると見込んでいるが……。
厚生労働省は、団塊の世代全員が後期高齢者となる’25年、介護の現場は約34万人もの人手が足りなくなると推計している。
「まるで足りないというのが実情でしょう。本格的に介護現場で働き始めた技能実習生などの外国人に、これから先もより多く、そして、少しでも長く働いてもらうためにも、継続的な支援が重要です」
張さんはこう力を込める。
しかし、慢性的な人手不足に加え、給与水準だってお世辞にも高いとは言えない介護職……どこか、つらい仕事の穴埋めを外国人に押しつけているという、ただただ虫のいい話に思えて、日本人としてどうにも気がひける。記者は正直にそう伝えると、張さんは言下に否定し、こう言葉を続けた。
「そんなこと、ありません。日本の介護は世界にも誇れるレベルですから。彼ら、彼女らは、世界一の日本の介護を学ぶために、わざわざ日本にやって来ているんですよ」
先月下旬、本誌は張さんのミーティングに同行した。行き先は、技能実習生の受入れ窓口となる監理団体の1つ、東京・日暮里の「PNJ事業協同組合」。来日した技能実習生たちは、監理団体で約1カ月の研修を受けたのち、介護の現場に赴く。同組合は今年4月時点で、31人の実習生を各介護施設に送っていた。介護分野では、日本でも指折りの監理団体だ。
「最近、実習生たちからの相談で、気になるものはなんですか?」
訪問早々、張さんがこんな質問をぶつけると、事務局長・南香さんは、少し困った様子で答えた。
「日本人従業員の、利用者さんへの対応があまりに雑で、ショックを受けた実習生がいました。『僕のマネはしないで、と笑いながら言われました』と。それには私も驚いてしまって。『絶対マネしちゃダメ、教わったとおり丁寧に介助してください』と忠告しましたけど」
代表理事の山内一夫さんが言葉を継いだ。
「いま、ハローワークに行くと、介護の求人は山とある。『本当はやりたいわけじゃないけど、ほかに仕事もないから』と、介護に就く日本人も少なくないという実態があるのでしょう。もちろん一生懸命にお年寄りの世話をしている方もたくさんいますが、なかには、その実習生が目撃したような者もいるということです」
神妙な表情で聞いていた張さんは、こんな言葉を投げ返した。
「その点、実習生には、ほかに仕事がないからだとか、お金のためだけ、という人は少ないですよね」
もちろん、と言わんばかりにうなずく南さん。その理由は、一定レベルの日本語能力が必須の介護の実習生の場合、漢字に慣れた中国人でも日本語習得に数カ月は必要で、日本の介護職の給与水準を考えると「割に合わないから」だ。
「うちは、ほとんどが中国からの実習生ですが、2人だけモンゴルの人がいます。彼女たちは四大卒に大学院修了。学歴はとても高い。それでも、2人とも日本語習得に2年近く要した。そこまでして皆、日本に来るんです。お金が目的では無理。皆、日本が好きで、介護の仕事がしたい、日本の介護を学びたい、そういう人ばかりです。うちの実習生の9割は、介護福祉士や看護師など日本の国家資格取得を目指しています」