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「彼がALSと診断された約2カ月後に、プロポーズされました。心配する母の反対もありましたが、『彼と結婚したい!』という私の思いは変わりませんでした」

 

色白の頬に柔和な笑みをたたえて話すのは武藤木綿子さん(35)。木綿子さんの夫・将胤さん(32)は、大手広告代理店「博報堂」の広告マンだった’14年10月、27歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の宣告を受けた。

 

ALSとは体を動かす運動神経が変化して、だんだん壊れていく疾患。手足をはじめ体中の筋肉が少しずつ動かなくなっていき、声を出すこと、食べ物をのみ込むことさえ難しくなり、やがて自発呼吸もできなくなってしまう。

 

その原因は解明されておらず、有効な治療法も開発されていない。日本では患者数が1万人ほどで、発症してからの平均余命は「5年ほど」とされている。

 

発症からすでに6年ほどたった現在、将胤さんは呼吸障害や、食べ物が喉に詰まる嚥下障害による窒息などの事故を防ぐため、気管切開と胃ろう(おなかに通した管から栄養を摂取すること)をしており、経口の食事ができない。

 

さらに手足も動かなくなってきており、自立歩行ができないため電動車いすで移動している状態だ。

 

「結婚は彼がALSを発症してから。病気がわかっても、ポジティブに前を向く彼の夢をいっしょに実現していきたい! と強く思えたからでした」

 

寝ずの介助などもしながら、将胤さんと走り続けた4年間。木綿子さんは将胤さんからプロポーズされたときのことを振り返った。

 

「大学時代にスカウトされて舞台女優やモデルとして活動していました。25歳を過ぎたあたりから、限界を感じるようになって。その後、資格を取ってエステティシャンをしていた’13年の夏に、彼と出会ったんです」

 

仕事帰りの行きつけのバーで、店のバーテンダーに紹介されたのが将胤さんだった。

 

「彼は社会のためにしたいこと、そのために学生時代から取り組んでいる活動などを、熱心に語ってくれました。『自分のアイデアで社会を明るくしたい』と。そのひた向きさに、年下のかわいらしさを感じて引かれたんです」

 

何度も食事をしているうちに、「結婚を前提に考えている」と彼に言われたのだという。気持ちの結びつきが強くなるなかで、木綿子さんには心配なことが少しずつ、増えていく。

 

「彼は身長178センチ、体重78キロで、ガッチリとした体躯でしたが、手足がしびれたり、何もないところでつまずいたりと、身体的な不調が見られるようになったんです。『寝ないで仕事することもある』という多忙さからくる疲れかと思っていたんですが……」

 

交際して丸1年以上がたった’14年10月27日に、将胤さんは難病ALSの「宣告」を受けた。

 

「彼は、私に知らせずにひとりで検査や診察を受けていました。『不調はきちんと治してから結婚したい』という思いだったと思います。そして、セカンドオピニオンのために受診した東北大学病院で、病名を告げられたんです」

 

診断された直後の将胤さんは、木綿子さんに電話で報告している。そこでは「やっぱりALSだったよ」と平然と言ったそうだ。

 

「ものすごい葛藤があっただろうに、気持ちの切り替えがすごい人だなと私は思った。『ALSの啓発活動は僕のミッションだ! ALS患者として担うことになった役割を果たすんだ』明るく話していた彼の口調に『この人、すごい人だ! この人といっしょの人生を歩みたい』と決心しました」

 

それでも後から「じわじわと悲しみが襲ってきた」と木綿子さん。

 

「結婚の話に加えて、『子どもは何人ほしい?』とか『名前はどうしよう?』と話していました。でもALSとわかった後は、そういう話はしなくなりました」

 

そして、その年の12月13日、木綿子さんの31回目の誕生日に、将胤さんのプロポーズを受けた。

 

「絶対幸せにします。結婚してください!」

 

決意が揺るがなかった木綿子さんは後日、プロポーズを受け入れることを母に報告。母もいったんは喜んでくれていたというが……。

 

「数日すると電話がかかってきて、『やっぱり病気のことが心配。お母さんは反対です』と」

 

木綿子さんは、母の電話のあと、しばらく考えてみることにした。

 

「でも結論が『結婚をやめる』とはなりませんでした。病気は『結婚する、しない』とは関係ない。“車いすの物理学者”ホーキング博士は20代で発症して76歳まで長生きしましたし、彼だって生きられるはずと信じていました」

 

そして何より、「自分自身の人生に、彼が必要だ」と確信していた。

 

「将胤さんとの結婚は、私の“前向きな人生”のスタートでもあったんです」

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