Aさんと同じように父親から性虐待を受けていた宮本ゆかりさんは19年7月、本誌取材に応じてくれた。そこで岡崎事件の一審判決を疑問視し、こう語っていた。

 

「幼いころから性虐待を受けていたら『抵抗してもムダ』という気持ちになるんです。しかも、彼女には2人の弟がいた。父の性虐待が世間に知られて仕事を失ったら、弟たちが生活できなくなると心配していたといいます。なぜ、そういう被害者の心理が理解できないのでしょうか」

 

「被害を誰かに打ち明けたときに、『抵抗できたはず』『どうして周りに相談しなかったの?』などと言われると、<私が悪かったんだ>と、自分を責め続けてしまいます。そのことは、親から性虐待を受けたという事実以上に、被害者を苦しめます」

 

4歳ごろ、父親に股間を舐められた宮本さん。小学生になると父親は宮本さんを海や山に連れて行っては、裸の写真を撮影したという。

 

「父が言うことは100%正しくて、それに従わなくてはいけないような家庭でした」

 

「父は、私が言うことを聞かないと、『お前の育て方が悪い』と言って、すぐに母を怒鳴るんです。だから母は、泣きじゃくる私のお尻を自分も泣きながらたたいたり、火を消してまだ熱いマッチ棒を、私の手に押し付けたりしたこともあります」

 

そして5年生のときに父親は眠っているゆかりさんの下腹部を触り、体を舐めまわした。

 

「当時は、まだ小学生ですから、その行為が何を意味するのかわかりません。でも、『絶対、お母さんには言うな』って言われて。すごく嫌だったけど、従っていれば、いつもは怖い父が優しかった。私は、父に自分を差し出すことで、居場所を確保していたんです」

 

6年生のころ、父親がゆかりさんの性器をなめているシーンを母が目撃することに。母の取り乱しかたから、父親に「これは間違ったことじゃないの?」と尋ねたが「ほかの家でもよくあることだ」とゆかりさんは言われたという。

 

しかし、中学2年生のとき保健体育の授業で男女の体の違いを学んだゆかりさんは「取り返しのつかないことをしたのかも」とパニックに。憎悪を抱き、性行為を求める父親に怒鳴った。次第に父親は諦めるようになり、約10年にわたる性虐待に終止符が打たれることとなった。

 

それでもゆかりさんの地獄は終わらなかった。「行為の意味を知らなかったとはいえ、私がもっと早く『やめて』と言えていたら父を止められていたはず」と苛まれ、自暴自棄となった。苦しみに耐えきれず母親に相談したところ、こんな答えが。

 

「あなたが誘ったらしいじゃない。お父さんは、あなたがかわいくって、あなたがほかの男性を誘っちゃいけないと思ったって。このことが世間にバレたら、お父さんが会社をクビになって、私たち、ご飯が食べられなくなるから黙っておくのよ」

 

母の言葉によって死を考えるようになったゆかりさんだが、「遺体を父に見られるのも嫌」と踏みとどまった。そして高校卒業と同時に家を飛び出し、美容師の道へ。20歳で結婚をし、出産も経験した。

 

「この子たちのために死んだらあかん」と考えたゆかりさんだが、31歳のときにうつ病となってしまう。「父の行為が頭から離れない」と母親に伝えたところ、こう返された。

 

「そんなことがあったのね。いま、お父さんは仕事で大事なプロジェクトを抱えているから、数年待って。お父さんが退職したら、別居してあなたたちと暮らすから」

 

ゆかりさんは、母親に何度も性虐待について明かしていた。「何も伝わってなかったのか……」と愕然としたという。

 

のちに、うつ病でゆかりさんは休職。生活費を父親が出してくれたことで、母親には「お父さんにもいいところがあるから許してあげて」とも言われた。しかしゆかりさんは、こう考え苦しんだ。

 

「いいところがあれば悪いことをしても許されるのだろうか」
「許せない自分が悪いのか」

 

一時は父親と別居すると告げた母親だが、結局は「いまさら分かれる気はない」との結論に。「やはり、母から愛されていない」と考えたゆかりさんは不安定になり、休日には布団をかぶって眠ることにもなった。

 

しかしあるとき、「性虐待」という言葉を知った。そして関連する本を読み、自分に起こったことを深く理解することとなった。

 

「父がしていたことは“性虐待”だ。拒否できなかった自分が悪いんじゃない。だから人に知られても恥ずかしくない」
「子供を心身ともに傷つける“毒親”は、許さなくていい。距離をとればいい」

 

そう気づいたことで、40年間の苦しみから吹っ切れたゆかりさん。17年、47歳のときにブログで自らの被害を公表。そして、18年には地元テレビ局の取材に応じた。

 

そのとき実家で性虐待について話し合いの場を設けたが、「嫌なら嫌やと言ってくれたらよかったんや」と父親はあくまで2人の関係は“同意”のもとに行われたと主張。「なんであんなことになったのか考えてほしい」と訴えても、「わしには全然わからん。これからもわかることはない」と返答。母も黙ったままだった。ゆかりさんはこう語っていた。

 

「そのとき、自分の親が情けなく思えて。もうこの親にはかかわらない。親は親、自分は自分、ってキッパリ割り切ったんです」
「今は親と会うつもりはありません。親は親の人生を生きてくれると思っています」

 

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