12月15日、世界中のSNSでトレンド入りした言葉がある。それはカナダのポルノ動画サイト「Pornhub」。世界中のアダルトビデオ(以下AV)が公開されており、YouTubeに次ぐ世界2位の動画共有サイトだ。
ことの発端は、12月上旬にアメリカのジャーナリストが“同意のない性交や児童虐待の動画がアップロードされている”としてNYタイムズ誌で同サイトの運営会社を批判する記事を公開したこと。その記事が反響を呼び、15日に同サイトから数百万本もの動画が削除されたのだ。
日本でも、Twitterで同サイトの名前がトレンド入りする事態に。このことからも、いかに多くの人が同サイトを利用していたかが伺い知れる。
こうして話題になるいっぽう、近年「女性への出演強要」や過酷な労働環境などAVに関する様々な問題が取りざたされている。身近な例として話題にのぼるのが、“AVの教科書化”問題であろう。これはAV内で行われている性行為を、視聴した人が“正解”だと思い、実際にパートナーなどに同様の行為を真似してしまうといったことだ。
そこで、この問題について、12月14日に『知らないと恥をかく「性」の新常識』(光文社刊)を上梓した東京大学大学院に在学中の齋藤賢氏に話を聞いた。
齋藤氏は、まずAVを真に受けてしまう背景として、制作体制と日本の性教育の問題をあげる。
「きちんとした調査がないので難しいところではありますが、AVは娯楽として見栄えを重視してきたということがあると思います。男性視聴者に向けて、求められるまま作られてきた。もちろん、男性視聴者だけが見ているわけではないですが。
また日本の性教育が充実していないことも、原因の一つとしてあるでしょう。ただ、性教育の拡充だけで解決できるということではなく、AVが性教育の代わりになってしまっているという問題がある。例えば、男子大学生の51.1%がセックスに関する知識をAVから得ているというある調査結果もあります」
国際協力NGOジョイセフの「性と恋愛2019ー日本の若者のSRHR意識調査ー」によると、約80%がセックスの悩みや要望について恋人と話し合った経験がないという。このように誤った知識を訂正される機会の少なさが、AVを教科書たらしめてしまっている一因だと齋藤氏は続ける。
「恋愛であれば、友達にひかれるとか、フラれるといった形で間違ったやり方が訂正される機会があります。ちょっと古いネタですが、ドラマで流行っているからといって”壁ドン”を実際にしたら、ちょっとイタい人ですよね。ただ、それに比べるとセックスはどうしてもそうした機会がさらに少ない。女性側も、本当は気持ちよくないのに演技してしまうこともあると思います。性行為後にフィードバックする人も少数派でしょう」
中学校の保健体育の授業で、性行為について具体的な指導がないといったことから一部で遅れを指摘されている日本の性教育。齋藤氏は一概に「日本はダメ」と短絡化することには釘をさしながらも、その原因をこう分析する。
「日本が性教育に対して消極的だというのは確かだと思います。本でも書きましたが、国際機関が作っているセクシャリティ教育ガイダンスといったものがあります。そこでは性教育を段階を積んで、包括的に教えていこうねということが示されているんです。そうしたものは日本にはないので、充実していないというのは間違いない。
また、日本でも90年代には性教育に注目が集まったんですが、2000年代前半にバッシングがあったことで停滞してしまったという歴史があります。ただし、AVの問題を性教育の欠如のせいだけにしてしまうのは、それもそれで危険です。『性教育があれば大丈夫』でもなく、『AVは害悪!禁止!』でもなく、AVなどの性産業の望ましいあり方について真剣に考え始めるべきです」
そうしたなかで、人はどのようにAVと付き合うべきなのか。齋藤氏は“AV=フィクション”と決めつけるのではなく、個々の向き合い方が何より肝要だと説く。
「性にはさまざまな嗜好があるわけで、基本的には他人の権利を侵害しない限りどんな性的嗜好も尊重されるべきと考えています。どんな性行為でも、当人同士の意思が尊重されて、安全が確保されていたらしてもいいわけです。勝手に第三者が、“望ましいセックス”を定めて“それ以外は現実的ではない”とするのはしてはいけないと思います。
対話がなにより大切であり、きちんと相手の意思を確認できる”対話の仕方”が大事です。ただ、性行為の場面では、女性が男性の望むように対話をしてしまうことがあります。男性に喜んでもらうために女性が気をつかっている場合もあるということを男性も知っておくと、対話の仕方も変わってくるのではないでしょうか。そのあたりに気を付ければ、対話が意義のあるものになると思います」