■レジ打ちのパートを体験。職場の主婦たちに“埋もれている人材”がいることに気づく
「年金がもらえるようになる65歳までは、働きたかったんですね。それで、インターネットで60歳以上の求人を調べたんです。出てくるのは、清掃、介護、保育、それに小売りの4つ。私にできるのは小売りだ、そう決めて、新規開店のスーパーの求人に応募し、レジ打ちのパートを始めたんです」
華やかな経歴を誇る薄井さん。スーパーの時給1千200円のパート仕事に就くことへ、何も思うところはなかったのか。
「抵抗感なんてまったくない。それこそが無駄なプライドです。そんなことで前に進めない、なんてことがあるとしたら、実績や経験は、ただのお荷物でしかない」 こう言って、声をあげて笑った。そして、こう続けた。
「それにね、レジ打ちって、思ってた以上に、私が体験したなかでもいちばん大変な仕事だった。会計だけでもすごく大変。現金、カード、電子マネー、扱い方がみんな違う。そのうえ、ポイントカードも。それらを全部、覚えないと、仕事にならないんですよ」
職場で出会った同僚のなかには、“埋もれる才能”と思える人材も。
「その難しいレジ打ちを苦もなくこなす人がいる。『ああ、もったいないな』『この人、もう一歩踏み出せば、違う世界があるのにな』って人が、いっぱいいた」
主婦たちの可能性に気づいた、ちょうどそのころだった。海外のエージェントを通して、外資系企業から「日本で新規開業するホテルの経営を任せたい」というオファーが舞い込んだのだ。
熟考の末、薄井さんは2つの条件を出した。
「1つは肩書。支配人ではダメ、日本法人の社長にしてほしいと言った」
理由は、同ホテルのブランド力の弱さだった。
「まだ、日本ではあまり知られていないホテルだったからね。それなら『給食のおばちゃんが14年で社長に』と、自分を前面に出したほうが、各方面から注目を集められる、そう思った」
もう1つの条件は「スタッフの採用は、自分に一任してくれること」だった。
「私はね、たくさんのチャンスをいただいてここまで来れたんですね。もちろん、運もよかったと思う。でも、運のよし悪しで片付けてしまうのは不公平ですし、それは私もいや。だから、本気で頑張る、そういう人にね、公平にチャンスをあげたいと思ったんです」
念頭にあったのは、理不尽な仕打ちに、ただ悔し涙に暮れることしかできなかった子供時代、それに、年齢や経歴だけで門前払いされ続け唇をかんだ10年前の自分の姿だった。そしてつい先日、目の当たりにした、埋もれる才能たちのことも。
先方は薄井さんの条件を、すべてのんだ。こうして、今年5月、薄井さんはついに社長に就任。さっそく、求人に動いた。
「いちばん最初に誘ったのは、やっぱり元専業主婦の40代の人。彼女はほぼ唯一の経験者。3年ぐらい前、私のホスピタリティ講座を受講して、その後、ある別のホテルで働いていた。でも、今回は管理職に就いてもらったから、彼女も大変だと思う」
ほかにも専業主婦やシングルマザー、フィリピン人と日本人の親を持ち英語はできるが日本語が不自由な女性や、家が貧しかったため学歴はないものの、ITスキルの高い女性も採用した。
「彼女にはね、うちの在庫管理の責任者になってもらいました。私ね、皆に言ってます。入口は皆一緒、給料も一緒。皆、経験ないのも同じ。だけど、仕事でミスをしない、責任を多く負う、そうした実績を重ねることで、給料もアップします、管理職にもなれますと」
ただ、なかにはすぐに脱落してしまう専業主婦もいた。
「最初に入った5人中、4人はもう辞めた。1人は『週2日勤務希望』という人。了承して採用したけど実際、働き始めたら『体力がもたない』とすぐに来なくなった。別の専業主婦は働き始めて2カ月たっても、ホテルの部屋のレイアウトすら覚えられなかった。
別にね、専業主婦全員が仕事を持つ必要はないと思う。でも、仕事がしたいと思うのなら、甘さを捨て、覚悟を持って来てくれないと。『こっちは皆、真剣。あなたの趣味に付き合う余裕はないんだよ!』、そう言いたい」
本誌の取材初日に入社したのは、薄井さんも認めるレジ打ちのプロフェッショナルだ。
「その人はシングルマザー。ある大手スーパーで7年間、レジ打ちをしてた人。おまけに、そのスキルを競う社内の大会で優勝したこともある。なのに、彼女はそのスーパーでほかの仕事は任せてもらえないし、正社員にもなれない……。私はね、レジ打ち経験者だから、どれだけ力がある人かわかるから、即採用した」
ここまで一気に話すと、薄井さんは目を大きく見開き、言葉に一層の熱を込めた。
「そういう才能をね、ずっと放っておいたそんな会社はね、悪いけどつぶれます。それは、日本社会全体にも言えることです。うちのような多様な人材を登用していかないと、会社も、社会も、どんどん淘汰されていくんですよ」