■還暦のあてつけに死ぬことを決心
そんななか、Jさんは28歳で再び実家に戻ることに。キッカケは“猫”だった。
「飼っていた猫が病気になったんです。弱っていく姿を見て、私もどんどん落ち込んで……。こういう状態では働くこともままならない。でも、頼れるひともいない。それで、母に『帰ろうかな』と言ってしまいました」
さらにJさんは母の誘いもあり、同じ職場で働くことに。「長年フリーターとして働いていた会社で社員になるにしても、“ブラックな面”が目に付くようになりました。母の勤務先である保険会社は大手で安定しているので、『そこで社員を目指そう』とも考えていました」という。
とはいえ、公私ともに母と過ごす時間が増えることになるのはわかっていたはず。躊躇はなかったのだろうか?
「“母とべったりな状態”を不思議がる人もいるかもしれません。でも『この親と一生関わらなくちゃいけないんだ』と諦めていました。離れて暮らしても、夢に出てくるくらいですから。子供の頃から母を中心にして生きてきたので、ぜんぶ受け入れてしまうんです」
そして、Jさんは「諦めたのがよくなかった。それからは地獄の四年間でした」と続けた。「言葉の暴力は日常茶飯事で、もう覚えていないです」といい、さらに母は離れて暮らす6年間で“パワーアップ”。例えば猛烈に、見返りを求めるようになったという。
「『今日は母の日だね。何もないの?』ってわざわざ言ってくるんです。サプライズで渡したかったので、事情を説明したのに『ありがとうの気持ちはないの?』と言われました。いっぽう誕生日に壁掛け時計をあげたら、振り子が揺れる様子を見て『ゴキブリが走っているみたい』って(笑)。
普通プレゼントって“あげたいからあげるもの”じゃないですか。『喜んでくれるかな』とか考えますよね。でも私は、母がヘソを曲げないためにあげる。エサみたいなもんです」
そして同居生活を続けるうちに、ますますJさんは精神的に弱っていく。「服を買うときや髪を切るとき、ふと母の姿がよぎるんです。『こういう格好をして何か言われないかな』と。遊びにいっても、『帰ったらなじられそう』と思って苦しくなる」といつも“母の影”に怯えていたとも明かす
それでも母とは離れられないという“諦め”ーー。追い詰められていった結果、Jさんは冒頭のように「母の還暦に死ぬこと」を決意する。
「これまで『ママは、自分のお母さんの還暦にこんなことをしてあげたのよ』という話を散々聞かされていました。でも私には、母に対して『何かしてあげたい』という気持ちが一切ない。めでたいこととも思えないし、『いっそ、あてつけに死のう』と本気で考えていました」