「将来の目標は、F1レーサーです」
あどけなさの残る顔を真っ直ぐこちらに向けて、彼はキッパリとこう言った。
パイプフレームにむき出しのエンジン、タイヤ、それにシート……、必要最小限のパーツだけを取り付けた簡素で小さな車体で競い合うレーシングカート。モータースポーツの最高峰・F1への登竜門とも言われ、いま世界で活躍するトップレーサーのほとんどは、このカートの経験者と言われている。
そのカート界でいま、まばゆい才能を発揮しているのが彼、堂園鷲(しゅう)選手だ。若干14歳、中学2年生の彼は今年、大人も参戦する全日本カート選手権のFS-125(シニア)部門で、見事シリーズチャンピオンに輝いたのだ。
鷲くんが初めてハンドルを握ったのは2歳半のとき。趣味でカートに乗っていた父・謙さん(56)が、芝刈り機のエンジンを積んだキッズ用カートを買い与えたのが最初だった。以来12年間、父と息子は2人で、二人三脚で走り続けてきた。
「鷲はどこのチームにも所属していませんし、スクールに入れたこともない。だから、ドライビング技術などを教えた僕が、ここまで彼を1人で育ててきたんです」
こう謙さんは胸を張る。だが、「1人で育てた」のは、なにもサーキットのなかだけの話ではなかった。
鷲くんが生まれたのは2007年のこと。
父・謙さんが40歳のころに知り合った16歳年下の女性。交際を始め、1年ほどで彼女は妊娠し、いわゆる“授かり婚”に。こうして生まれてきたのが鷲くんだった。
「でも、鷲が生まれるころには、夫婦の関係はギクシャクしていて。生後6カ月のとき、僕と鷲とで外出している間に、彼女は家を出ていってしまった。そこからしばらく音沙汰なしで、1年後に弁護士を通じ『離婚したい』と連絡が来たんです」
だから、現在の堂園家は父子家庭、謙さんはシングルファーザーだ。
「独身時代の僕は、自分の好きなことだけして生きてきました。でも、子供ができたと分かったとき、これからは子供のために生きると決めたんです」
謙さんはファッション誌の業界では名の通ったカメラマンだった。海外生活も長く、国内外の雑誌や広告で活躍した。そんな名声や収入、すべて投げ打つ覚悟で、新米パパは生まれて間もない我が子と向き合った。日々、ミルクを与え、オムツを変え、お風呂に入れた。「大変だったでしょうね?」と問いかける記者に謙さんは「当たり前のことをしただけ」と涼しい顔だ。彼が大事に保管している鷲くんの母子手帳、それに保育園の連絡帳を見せてもらうと、毎日の愛息の様子や成長が、細かな字でびっしりと書き込まれていて、驚かされる。
「僕と同世代の男性は『男親のワンオペ育児なんて到底無理』と思うかもしれない。だけど、それは仕事と子育ての両立を考えるからじゃないですかね。僕は鷲が生まれてきたときには『仕事なんてどうでもいいや』と思ってましたから」
もちろん、乳児のころの鷲くんの夜泣きに閉口したことだってある。深夜に発熱し、うなされる息子を救急病院に担ぎ込んだことも。親としての心配は尽きなかったが「それでも、シングルファーザーだから苦労したんだなんて思ったことは一度もないです」と謙さん。
「僕は、子育てでもっとも大切なのは、子供と一緒の時間を過ごすことだと思ってるんです。子供と一緒に遊んだり、子供と一緒になにかに夢中になったり。それがあれば、ほかのことは大した問題じゃないんじゃないかな」
にこやかにこう話す父が見つけた、息子と過ごす一緒の時間、それがカートだったのだ。
「というか、まずは僕自身が、幼い鷲と一緒に楽しみたい、そう考えたんですよ」