「じゃあ、いってくるよ」
7月8日朝、こう言って空路で奈良県へ向かったであろう夫。妻は数時間後に無言の対面を果たすとは、思いもしなかったはずだ。
奈良市で参院選の応援演説に立っていた安倍晋三元首相が、2発の凶弾に倒れた。すぐさま病院に搬送されたが、救命措置もむなしく、息を吹き返すことはなかった。享年67、父の晋太郎元外相と同じ年齢での逝去だった。
「安倍さんは参院選が終わった後に、西村康稔元新型コロナ担当相たちと、神戸市の有名なカントリークラブでゴルフをする約束をしていたそうです。まさか、こんなことになるなんて…」(自民党関係者)
安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者は、8日夜までに殺人容疑などで逮捕された。
「山上容疑者の自宅からは、複数の銃器や爆発物らしき危険物が押収されました。具体的な動機については、慎重に捜査が進められています」(社会部記者)
銃撃から約1時間後、昭恵夫人(60)は都内の自宅を出て、安倍元首相が搬送された奈良県内の病院に駆け付けたが――。
「昭恵さんが到着した直後、晋三さんの死亡が確認されました。首相だったころの晋三さんは多忙でしたし、昭恵さんも飲み歩いたり各地を訪問したりと、夫婦で過ごす時間は少なかったそうです。
でも最近、昭恵さんは『自宅で夫と夕食を一緒に取る時間が増えた』と話していました。昨年春には、ミニチュアダックスフントの保護犬を迎えて、よく近所を一緒に散歩していました」(昭恵夫人の知人)
’20年9月に辞任した後、安倍元首相は自民党最大派閥の領袖として、政界に強い影響力を行使してきた。政治評論家の有馬晴海さんはこう語る。
「首相辞任後も、祖父の岸信介元首相が成し遂げられなかった憲法改正をライフワークと定めて行動を続けていました。安倍さんには、岸田文雄首相(64)が憲法改正に消極的に見えていたのか、安倍派を率いてハッパをかけようという意図が明確にあったと思います」
改憲という目標に向かい、昨年の自民党総裁選でも“キングメーカー”として安倍元首相は存在感を発揮していた。
3月に伊勢神宮に参拝したときの写真を見ると、昭恵夫人の隣で笑みを浮かべる安倍元首相が写っている。じつは、安倍元首相が夢見ていた計画があった。
「3月に、キャンピングカーの普及を目指す議員連盟の総会に安倍さんが出席されたときです。『私も、政治家を引退したら立派なキャンピングカーを買って、日本をぐるっと回りたい。まだまだ引退しないですけどね』と、日本を漫遊するという老後の夢を話していました。旅行が好きな昭恵さんに、“恩返し”をしたいのかなと感じましたね」(自民党議員)
東京育ちの安倍元首相は、初出馬のとき、地元・山口県の支援者になかなかなじめず悩んでいたことがあったという。
「山口弁も話せず、下戸な晋三さんは初出馬のときにとても苦労していました。そんなとき、昭恵さんが安倍さんに代わってお酌をして回ったりして、選挙区の人々と打ち解けるきっかけを作ったのです。酔っぱらって寝てしまった昭恵さんを、晋三さんがおぶって帰っていったこともあったそうです。そんなこともあってか、晋三さんは昭恵さんに強い恩義を感じていたのでしょう」(前出・知人)
’17年2月以降は、森友学園問題が浮上し、さらに翌年には財務省の公文書改ざんと隠ぺいが発覚。安倍政権と昭恵夫人に対して猛烈な批判の声が上がっていた。
だがこのとき、安倍元首相は彼女をかばい続けていたという。当時の官邸関係者はこう明かす。
「政府内でも、昭恵夫人の奔放な行動が問題視されていました。内閣官房長官だった菅義偉前総理ほか官邸幹部が出席した会議で、ある側近が『奥さま、なんとかなりませんか。いいかげんにしてください!』と厳しい態度で具申したことがありました。
しかし、安倍元総理はバツが悪そうにはぐらかすばかりで……。あるとき、『だって、愛しているのだから仕方ないじゃないか』と周囲にポツリとこぼしていました。『妻に褒められると勇気が出るんだ』と話していましたし、昭恵夫人の存在が元総理の原動力だったのは間違いありません」
7月9日昼過ぎ、安倍元首相の遺体が、昭恵夫人とともに奈良県から車で東京都渋谷区の自宅へと戻った。夫婦最後の7時間ほどの旅路。車から降りた昭恵夫人は無言で自宅へ入っていった。
2発の凶弾は、安倍元首相の生命だけではなく、いたわり合う夫婦の夢も奪ってしまったのだ。