墜落した日本航空123便の主翼 画像を見る

「21年間の結婚生活で夫婦げんかは一度もありませんでした。

 

百貨店に行けば、私を着せ替え人形のように頭の先から爪先まで、ぜんぶコーディネートしてくれた主人です。

 

生まれつき股関節脱臼がある私を『歩けなくなったら、必ずおんぶしてあげる』と。

 

この幸せが、ずっと続くように祈っていました。

 

あの年の8月12日、主人は急な日帰り出張で東京に行きました。

 

帰りの飛行機の前に電話をくれた主人は、とても疲れた声でした」

 

それが、吉備素子さん(79)が聞いた最愛の夫・雅男さん(享年45)の最後の肉声だった。

 

「いまから帰る。19時に伊丹空港に着く便に乗るーー」

 

■「主人がなぜ亡くならなければならなかったのか?」

 

1985年8月12日に発生した日航123便墜落事故。

 

群馬県上野村の御巣鷹の尾根に18時56分に墜落した羽田発大阪行き(ボーイング747)には、乗員・乗客524人が搭乗していたが生存者はわずか4人(すべて女性)。

 

520人もの尊い命が犠牲となった単独機世界最大の大惨事だった。

 

犠牲者の中には、国民的歌手の坂本九さんも含まれていた。

 

また、同事故を扱った山崎豊子原作の映画『沈まぬ太陽』(2009年)では主演の渡辺謙が航空会社社員として遺族の世話役を演じた。

 

夫の雅男さんはその犠牲者であり、吉備さんは遺族となったのだ。

 

「4カ月間、私は遺体安置所で、身元不明の部分遺体をひとつずつ手に取って、主人を捜しました。でも主人は手も足もバラバラで、ぜんぶは見つかりませんでした」

 

9月の誕生日で満80歳となる。昨年は大腸がんの摘出手術をした。さらに先天的な股関節脱臼で激痛があり、歩くのには杖が必要だ。

 

そんな吉備さんが日航に対し、民事訴訟を東京地裁に起こしたのは、2021年3月26日のこと。当初、この7月に判決予定だったが、8月25日の口頭弁論を経て、9月以降になる見込みだ。

 

「墜落機のボイスレコーダー(音声記録装置)とフライトレコーダー(飛行記録装置)の生データ開示請求」が趣旨だが、なんと発生から36年、日本では同事故の裁判が一度も行われてこなかった。

 

それを、なぜいま吉備さんが、ひとりで闘おうとしているのか。

 

「ひとえに、主人がなぜ亡くならなければならなかったのかの事実、真実を知りたいだけなんです。

 

今日の今日まで、日航から直接、事故原因を説明されたことなど、一度もないんですから」

 

同事故は、事故調査委員会の1987年の事故調査報告書で「ボーイング社の修理ミスが原因で後部圧力隔壁が破壊、急減圧が発生し垂直尾翼が吹き飛ばされたことが原因」とされ、ほとんどの人が「不運な事故」と記憶しているはずだ。

 

しかし吉備さんは目を見開いて「真実は明かされていないんです」と訴える。

 

「日航や国の対応は辻褄が合わず、おかしな点ばかり。夕方に墜落したのに救助は翌朝やっと始まった。夜に始めていれば100人ほどは助かったのではとも聞きました。

 

国も日航も、なにか隠している。私は墜落原因にずっと疑問を持ってきました」

 

今日までの出来事と疑問、闘いのすべてを振り返ってもらった。

 

(なお、判決の行方は、河出書房新社より11月に発売予定の青山透子さん著『JAL裁判 日航123便墜落事件と1985』で詳しく綴られる)

 

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