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沖縄の米軍基地建設に対する“座り込み抗議”を揶揄するような投稿をTwitterで行い、物議を醸している「ひろゆき」こと西村博之氏(45)。今度は生配信での発言に対して、ある疑惑が持ち上がっている。

 

10月7日、YouTubeで生配信を行ったひろゆき。そこでユーザーから「なぜ東京や神奈川の基地の周りには座り込みをする団体がいないのでしょうね」という質問を受けた。すると、持論をこう展開した。

 

「沖縄の場合はもともと、普天間の基地があって、その普天間の基地の周りに住宅を作っちゃったんすよね。普天間の周りってもともと何もなかったところだったんですけど、基地の需要があったり、米兵だったりとか、基地で働く人の需要があったりして、結果として住宅街ができてしまった、と。

 

なので、基地のめちゃめちゃ近くに住宅街があるよねって問題もあるので、そこらへんが横須賀とか座間とかとの違いなんじゃないかなって思います」

 

ひろゆきの「普天間にはもともと何もなかった」という言説は、これまでも他の場所で展開されてきた。例えば’15年6月、百田尚樹氏(66)は自民党本部で行われた若手国会議員の勉強会で「普天間基地は田んぼのなかにあった。周りには何も無い。そこに商売になるということで住みだした」と発言していた。

 

しかし、百田氏の発言は「事実でないのでは」と波紋を呼ぶことに。そこで当時首相だった安倍晋三氏(享年67)は、国会で「普天間基地の形成過程についてどう認識しているのか」と問われた際、「戦前、役場や学校があり集落が点在していた。米軍が土地を接収し建設した」と安倍氏は答弁し、百田氏の発言を正式に否定していた。

 

また、沖縄県が発行している冊子「沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A Book 令和2年版」でも「何もなかったところに米軍基地ができて、その周りに人が住んだのではないですか」という質問に対して、「それは、誤った認識です」と答え、こう続けている。

 

「たとえば、米軍上陸前年の宜野湾村には多くの集落が存在し、約1万4千人の住民がいましたが、沖縄に上陸した米軍は普天間飛行場建設のために宜野湾、神山、新城、中原の4つの集落を中心に広い範囲を強制接収しました。

 

なかでも、普天間飛行場が建設される前の当時の宜野湾村の中心は字宜野湾という場所で、現在の普天間飛行場の中にありました。そこは、もともと役場や国民学校、郵便局、病院、旅館、雑貨店がならび、いくつもの集落が点在する地域でした。

 

また、字普天間には、沖縄県庁中頭郡地方事務所や県立農事試験場など官公庁が設置され、沖縄本島中部の中心地でした。

 

住民が避難したり収容所に入れられている間に、米軍が利用価値の高い土地を強制的に接収したため、戻ってきた住民は自分の故郷に帰りたくても帰れず、その周辺に住むしかないという状況でした」

 

安倍元首相や沖縄県も公式に否定している説を、改めて“普天間の周りにはなにもなかった”と披露したひろゆき。そのため、非難する声がこう上がっている。

 

《沖縄の人たちがずっと昔から何度も訂正し、事実を突きつけてきた、ちょっと調べればすぐ分かるデマを、いままた影響力のあるひろゆきが広げてる》
《ひろゆき氏がデマを信じるのは別にどうでもいいんですけど、それをこうやって堂々と語ることで信じる人が量産されるのが本当にダメ》
《なぜ沖縄県が「何もなかったところに米軍基地ができて、その周りに人が住んだのではないですか。」という質問にわざわざ回答しているかと言えば、これがネット上で繰り返し流されてきたデマだから》
《デマを流すな》

出典元:

WEB女性自身

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