■突然声を張り上げた認知症の女性に寄り添い、ソファに並んで、背中をさすって話を
「勤務は朝の10時から17時30分まで。お昼を食べるときを除いて、私、ほとんど休まんのです。自分で言うのもなんやけど、よう仕事してますよ(笑)」
80歳まで施設長を務め、現在は顧問として月・水・金の週3日の勤務。6時間半をかけて各施設を回り、利用者への声かけの「ラウンド」を続ける。
「まあ、かっこよく横文字でラウンドなんて言いますけど(笑)、私は、もう70年以上、ただ現場が好きやから回っているだけ」
その仕事ぶりに密着した日も、濃紺の制服姿の細井さんは、ほとんど立ちっぱなし、動きっぱなしだった。
そんなときだった、静まり返っていた部屋に、突然、大きな声が轟いた。
「こんな変な色のついたもんは飲めん!」
湯呑みを前に、一人の女性利用者が声を張り上げていた。認知症の一つの症状で、突然怒りだすことがあるというのは、事前に聞かされていた。
続いて、女性はブツブツ言いながら談話室を出ていく。あわてて追いかけようとするスタッフを制して、細井さんが隣に寄り添う。
「ちょっと、玄関のソファでおしゃべりしよか」
やがて、ソファに並んで腰掛けた二人。細井さんが、女性の背中をさすりながら、
「ゆうべは眠れたんかな?」
「ぜんぜん眠れへん」
「それは、しんどいなぁ。部屋で横になってもいいんやで」
「いや、話、してたい」
「はい、じゃ、そうしよう。ほら、見てごらん。山の緑も、もうじき紅葉の季節やね」
「うん」
ようやく女性が落ち着いた絶妙のタイミングで、大谷さんがお盆に熱いお茶を2つ持って現れた。そのまま、ガラス戸越しに山を眺めての世間話は20分近く続いた。
細井さんは、
「認知症では、幻覚や幻聴もありますから、私たちには見えなくても、この方にはなにか見えているのかな、と想像します。終戦後の舞鶴の病院のころから、認知症ではありませんが、同じような光景を何度も体験してきました。
驚いたり戸惑ったりする前に、相手を理解しようとすることが大切です。もっと言えば、今の女性の怒りの態度も、今日は朝から大雨でしたから、ついバタバタしてしまっていた私たちスタッフの感情が鏡になって彼女に表れたかな、と思ったりもするんです」