文学賞より売れると評判の“新井賞”創設の書店員 39歳でストリッパーデビューした理由
画像を見る 笑顔で舞う新井さん

 

■成績は常にトップクラスだった学生時代。大学中退後、ひょんなことから三省堂書店へ

 

80年7月24日、東京都台東区根岸の生まれ。卸業を営む父親と専業主婦の母親、4つ年上の兄がいる。

 

「友達の家がラブホテルをやってたり、近くには吉原があったりでしたが、あの下町の雰囲気は今も大好き。子供のころは、お小遣いも十分にもらっていたし、両親はふだんから私の意思を尊重してくれました。ですが、私自身、すごく考えるタイプだったので、難しい子、育てにくい子だったんじゃないかと思います。本は好きでしたね。親から『読め』じゃなく、自分で近所の個人の本屋さんへ、もう呼吸するように普通に立ち寄って、読みたい本があれば買っていました。お風呂掃除のお手伝いで、母からもらえる図書券がうれしかった。

 

『不思議の国のアリス』は、どんだけ読んでもいまだに意味がわからないですが、あの暗さとか不可解さに惹かれます」

 

地元の公立小学校を出て、中学からは東邦音楽大学の付属校へ。

 

「成績は、小学校からめちゃめちゃよかったです(笑)。あと、東京のコというか、みんなマセてて、小5のころなんて、ソニプラ大好きで、今よりよっぽど化粧濃かったですね(笑)。一方、あの地元で、うちの小学校だけ先進的というか、中学から私立に上がる子が多かったんです。私は小学校からブラスバンドで基本的に楽器はなんでもできたので、中学はピアノで入りました」

 

相変わらず、はた目には優等生に見られていたかもしれない。

 

「成績は学年で2番くらい。教科書の下に隠して谷崎潤一郎やボーイズラブを読んでいたのは、授業がつまらなかったから(笑)」

 

14歳のころ、そんな彼女を夢中にさせるものと出合う。

 

「GLAYをテレビで見て、ハマりました。すぐにライブに通う楽しみも覚えて。ナマのステージは、ときにボーカルやバンドの音が外れたりもします。それまで親しんでいたクラシックではありえないんですが、あの粗削りな感じに、もうグッときてしまって」

 

高校では、理不尽な校則について黙ってはいられなかった。

 

「『茶髪はダメ』で水色にするんですが、今度は『色はダメ』で、脱色したり(笑)。スカートの丈の長さも、なぜダメなのかという説明に納得がいかないと、先生にも理詰めで反論する、イヤな生徒だったと思います。単純な好奇心から吉原の最高級ソープの面接に行ったのもこのころ。鼻で笑われて帰されましたが」

 

そのまま東邦音大に進み、ホルンを専攻するが、やがて自ら組んだロックバンド活動に夢中になり、大学を中退する。

 

「バンドのせいというより、大学が私の思っていた姿とは違ってたんです。音楽を追求するというよりは、まずは教職を取ろうという周囲の雰囲気を受け入れられなかった。子供を育てる大切な仕事のはずなのに、『とりあえず教職』はありえないと思いました。両親も、私の性格をわかってますから、『そうだよな』という感じで、反対はありませんでした」

 

大学中退後、池袋のアイスクリーム店でアルバイトを始めた。

 

「ここでオープニングスタッフから3年ほど働き、その後、パン屋もおもしろそうだと思って面接を受けて、その帰りに偶然、『書店員募集』のポスターを目にするんです。結局、書店のほうが、その場で即決で採用となるんです。パン屋も受かっていましたが、そのまま書店で働き始めました。すると思いがけず、これまでの人生でいちばん楽しいと感じるほどの世界が待ってたんです」

 

こうして28歳で三省堂書店有楽町店に入店。社会人として一足目のわらじを履いて、今日まで続く長い書店員生活が始まった。

 

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