■「蓮舫さんは、ああ見えて繊細」
家庭内でも“蓮舫節”は健在で、そうした部分に息子は反発した時期もあったのだという。
「息子さんからしたら、幼いころから蓮舫さんと同じように青学に通わせて、イギリスにも留学させて。そのレールを敷かれていることが、やっぱり面白くなかったんでしょうね。イギリス留学はもちろん本人の意思もありますが、双子の妹さんがニュージーランドで、留学させること自体は既定路線。子供からすると反発したくもありますよね。
多感な時期に『蓮舫議員は批判するばかり』と何度も耳にして感化され、親への批判意識を強めてしまった時期があったみたいです。それで縁あって糸山氏のところに転がり込んで養子になったようです」(前出・立憲民主党関係者)
長男が母親に反発し、自民党員どころか戸籍上の“他人”にまでなったことに、当時の蓮舫氏は目も当てられないほどの落ち込みようだったという。
「蓮舫さんは“超溺愛”していました。あの蓮舫さんが『息子のために朝5時に起きて、弁当作ってる』って豪語したぐらいだからね。だから息子さんが出て行ったときは、もう目もあてられないぐらい落ち込んだと聞きました」(前出・立憲民主党関係者)
“どん底”の蓮舫氏を励まし続けたのが、あの盟友だったという。
「悲嘆にくれる蓮舫さんを支えた数少ない同士が辻元さんでした」(前出・立憲民主党関係者)
辻元清美参議院議員(64)はかねて蓮舫氏とは“めっちゃ仲良い”と公言している。
「あの2人は本当に仲がいいんですよ。どちらかというと、辻本さんの方が打たれ弱いので、慰め合って、励まし合ってる仲なんですけど、やっぱり息子さんが出て行ったときの落ち込みようは相当で、辻元さんは親身に励ましたようです。辻元さんが蓮舫さんのことを『ああ見えて繊細』と言うのは、そういう姿を側で見てきたからでしょうね」(前同)
辻元氏は自身のXで蓮舫氏の出馬について《仲間として、そして、かけがえのない友として、蓮舫さんの決断に心から敬意》とし、“命がけ”の都知事選において《私は蓮舫を守り抜こう》と表明している。今後のキーパーソンになりそうだ。