子宮・卵巣を全摘出、脳に腫瘍…大病の末に北新地放火殺人事件で兄を亡くした伸子さん
画像を見る 21年12月17日、現場となった堂島北ビル。4階のクリニックが焼損し、26人が犠牲となった(写真:読者提供)

 

■ニュースのコメント欄に、兄の患者の書き込みが

 

中学生だった長男の懇談会に備えて、学校近くのレストランでランチを注文したときだった。スマホのニュースに「西梅田の心療内科で火災発生」と出た。

 

まさかと思って開いたニュースの写真には、兄のクリニックの窓が写っている。慌てて店を飛び出し、タクシーで現場に向かった。

 

「パニックで、兄のところへ行きたいと、それだけしか頭にありませんでした」

 

渋滞がひどく、最後は徒歩でクリニックに向かったが、すでに規制線が張られ、ものすごい数の消防車が現場を取り囲んでいた。

 

義姉(弘太郎さんの妻)も駆けつけていたが、被害者は全員、複数の病院に搬送された後だった。

 

「結局、家で待つしかなくて。夜の10時でした。母から電話で、『お兄ちゃん、亡くなりました』と告げられました」

 

夫と両親、義姉と伸子さんの5人で警察署に向かった。

 

「車の中では誰も話をせず、泣くとか、取り乱すとかもなかったですね。あまりにもショックが大きく、泣くことすらできなかったと思います」

 

遺体は別の警察署の駐車場の奥に置かれていたという。

 

「袋に入った兄と対面しました。父は涙を浮かべ『よう頑張ったな』と、兄に声をかけていました」

 

死因は一酸化炭素中毒だった。

 

「やけどもなくて、顔も眠っているようにきれいな状態でした。一瞬で気を失って亡くなったんだと思います。痛みに弱かった兄が、痛い思いをせずに済んだのはよかったなと思いました」

 

葬儀の日も警察や報道関係者が家の周囲を取り囲み、葬儀らしい厳かな気持ちにはなれなかった。

 

ネットニュースのコメント欄に寄せられた兄への感謝や兄の死を悼む投稿を読んだのは、そのころだ。

 

頼りにしていた院長が突然いなくなって、戸惑い、途方に暮れる患者の声もたくさん目に留まった。

 

「なんとかしてあげたい。力になってあげたいという気持ちが自然と湧いてきました。でも、どうすればこの患者さんたちと連絡が取れるのかすら、当時はわかりませんでした」

 

【後編】「覚醒剤で6回服役」の反社会的勢力の元幹部にも寄り添う 北新地放火殺人事件遺族・伸子さんへ続く

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