■「2歳までに亡くなる可能性も」26歳の母に突き付けられた厳しい現実
病院を次々に移り、大がかりな検査を重ねた。1歳5カ月のときに下された診断が「脊髄性筋萎縮症」だった。全身の筋力が徐々に低下していく神経疾患だ。現在は、進行を遅らせる薬なども開発されているが、当時は治療薬がなく、“人工呼吸器をつけなければ2歳までに亡くなる可能性もある”と医師に言われたという。
「允翼の病名が判明したとき、私は26歳。若かったこともあり理解が追いつかず、『2人きりでいるとこの子を抱えて飛び降りてしまうかも』と悲観もしました。
新婚時に入居したマンションを早々に引き払い、夫の両親と同居し、支えてもらったのがせめてもの救いになりました」
同年齢の子どもたちが歩き始めるなか、蒼健さんや義母と交代で允翼さんのバギーを押しながら、“この日々がいつまで続くのだろう”と絶望に打ちひしがれた──。
そんな苦境から救ってくれたのが、ある医師との出会いだった。東京女子医科大学病院に勤務する友人から「よい専門医がいる」と教えられた。
「お母さん、よく頑張りましたね」
齋藤加代子医師(現在は特任教授)は開口一番、ねぎらってくれた。
「ここへ来たらもう大丈夫だけれど、感染症は命とりになるから、それだけは気をつけてね」
心から信頼できる医師との出会いだった。允翼さんが3歳のころ。自分の力では車いすをこげない允翼さんのために、両親は電動車いすを購入することを決意した。価格は100万円を超えていた。当時、子ども用の電動車いすに補助金は出にくい時代。行政から渋られたが、尽力してくれたのも齋藤医師だった。
メーカーから借りた電動車いすの操作を病院内で練習させ、動画も撮ってくれた。巧みに車いすを操作する允翼さんの動画に、行政の担当者の心は動いた。無事、補助金が出て、允翼さんは自分の意思で動かせる翼を手に入れたのだ。
【中編】『ドラゴン桜』が道しるべだった…「寝たきり」の東大生・愼允翼さん明かす壮絶だった受験勉強へ続く
(取材・文:本荘そのこ/写真:水野竜也、高野広美)