名門旅館・加賀屋専属「レプラカン歌劇団」被災地で慰問、東京でショー…「また能登で公演する日のため」奮闘の日々
画像を見る 能登での公演の再開を待ち望んでいるレプラカン歌劇団のメンバーたち(撮影:夛留見彩)

 

■和倉町の保育施設や高齢者施設でショーを。「子供たちからメダルと元気をもらった」

 

能登半島地震により休業を余儀なくされた加賀屋は、他県出身の歌劇団メンバーに帰郷を勧めたが、トップの2人は「和倉に残りたい」と希望した。

 

れいさんは「私たちは帰るわけにはいかなかった」と話す。

 

「和倉では、すれ違う人に『行ってらっしゃい!』と声をかけてもらうのが日常になっていました。行きつけのお店や、濃いお付き合いがあったんです」

 

野菜を届けてくれる人がいて、「おでんを取りにいらっしゃい」と言ってくれる居酒屋の女将さんがいた。月イチで必ず行く美容室もできた。

 

七尾市生駒町の料理店「麺の華」店主の坂本すみさん(89)も「濃いお付き合い」のある1人だ。

 

「お客さんを喜ばせるために舞台で頑張っている2人から私も元気をもらっていました。ごはんを食べに来てくれると『すみちゃん』と気楽に話しかけてくれたんです」

 

2人は「寮に残って、復旧作業を手伝いたい」とマネジャーに告げた。レオンさんが言う。

 

「もちろんショーができないのはわかっていました。でも、『和倉温泉のために、できることはあるはずだ』と思ったのです」

 

2人は家々に「大丈夫ですか?」と声がけし、給水車の水くみ作業、家屋のがれき撤去を手伝った。

 

「初めて顔を合わせる方でも、なにも言葉を交わさなくても『頑張ろうね』という気持ちで通じ合えたと思います。みなさんと一緒にいる時間を肌で感じたくて、ずっと残っていたかったんです」

 

だがそれにも限度がある。ついに東京への帰宅指令が出て荷物を段ボールに詰めることに……。

 

地元の保育施設から電話があったのは、そんなときだった。

 

「子供たちのために、ショーを見せてくれませんか?」

 

保育施設「和倉こども園」からのオファーだった。レオンさんが目を輝かせて言う。

 

「避難所(和倉地区コミュニティセンター)の隣が、和倉こども園でした。保育施設なのに、静かな様子だったので、あるとき職員さんに言ったことがあったのです。『ショーだったら、いつでもできますから』と。そのことを覚えていてくださったのでしょうね」

 

そして1月18日、「子供ショー」開催の当日。

 

「きっと子供たちの顔が沈んでいるだろうなと思っていたんです。でも……、すごく元気でした!」

 

『となりのトトロ』や、米津玄師の『パプリカ』を子供たちの輪に入って、歌って踊ると、「きょうは、どうも、ありがとうございました!」、そんな感謝の言葉とともに手作りのメダルを授与された。

 

「子供たちから、私たちが元気をもらっちゃいましたね」(レオンさん)

 

さらに翌19日には、高齢者施設「ゆうかりの郷」を慰問した。レオンさんは小金沢昇司の名曲『ありがとう…感謝』をしっとりと歌い上げた。

 

「れいさんから前日に『歌ったらどう?』と言われていた曲でした。家族や友人に感謝を伝える歌なんです」

 

れいさんが目を細めて言う。

 

「入居者の方が、みなさん泣いていらっしゃいましたね……」

 

積極的にコミュニケーションを図る“レプラカン・スタイル”が、厳寒の被災地を温めたのだ。

 

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