■また能登で公演する日のため、「いまは東京で加賀屋の看板を背負って舞台に…」
「能登ではいまも、倒れた家屋が残っていて、隆起したコンクリはそのままだったりと、がくぜんとします……」
東京・アトレ竹芝の劇場型コミュニティスペース「SHAKOBA」での公演が佳境に入ると、レオンさんがマイクを握って語りだす。
「加賀屋で公演していた日々が、どんなに幸せだったか……。この千秋楽を出発点に、私たちはまた、歩き始めます。みなさまも能登のことを忘れず、お祈りくださればと思います!」
レオンさんの言葉に聞き入っていた観客たちから、「頑張れ!」の声が重なった。
加賀屋・第二営業部長の森浩子さん(61)は震災翌日にお客を見送ったときの光景を思い出して、涙ぐむ。
「お客さまはバスやワゴン車の窓から『頑張ってください』と、声をかけてくださいました。震災で苦境に立ちましたが、ご支援、やさしさに心から感謝しています。いただいた元気を『おもてなし』でお返しできるよう、いつの日か必ず営業再開したいです」
料理旅館「金沢茶屋」フロントスタッフ・小坂雪乃さん(23)は、新入社員代表挨拶で「いつか、和倉でお客さまをお迎えしたい。その日が楽しみです」と誓っていた。
「金沢茶屋ではインバウンドのお客さまも多く、母校の関西外国語大学で学んだ語学が生きています。能登は海の幸が豊富で、ブリが豊漁。営業再開後、いずれ能登で勤務する日も来ると思うので、その姿を穴水町の祖父母に見せたいですね」
加賀屋は創業120周年となる’26年9月10日に向け、営業再開が待ち望まれている。苦境のなかでも、加賀屋の女性たちは、未来を目指す。もちろんレプラカンの2人も──。
れいさんは願いを込めて語る。
「2人で、いろんな困難を乗り越えてきました。震災にもくじけない強い思いを、頑張っている能登のみなさんと共有したいです。また能登で公演する日のため、いまは東京で『加賀屋』の看板を背負って舞台に立とうと思います」
レオンさんが、和倉での出来事を思い起こして言った。
「別邸『松乃碧』の冬桜は、震災で根っこごと倒れてしまいました。でも旅館のスタッフが木も根も植え戻してくれていたんです」
11月に高齢者施設の慰問に訪れた際、女性スタッフから、こう言われたそうだ。
「冬桜、もう枯れちゃったかもしれないと思っていましたが……、咲いたんですよ!」
レオンさんが、急いで駆けつけると、ポツリ、ポツリと冬桜が、薄紅をほんのり差して、花開いていた。凛として──。
(取材・文:鈴木利宗)