■専門学校時代にアルバイトで“トップセールス”に
当時の中国ではまだ日本よりも美容への関心が高くなかったため、東京ではヘアメイクやエステなどについて学べる美容系の専門学校に進むことにした。この頃から「必ず次に繋がるものを得よう」と、何か事を起こす際は目標を持つことを意識したという。
専門学校に通いながら、エステを展開する会社が運営するアロマショップでアルバイトを始めた。ここで燕さんは頭角を表すことになる。
「日本語も上達して接客もできるようになりました。そこではエステの体験チケットの販売もしていて、私もお客様に勧めていたのですが、私の売り上げ枚数が会社全体で1位になったんです」
15店舗のエステを展開する従業員もそれなりにいる規模の会社で、しかも母国語ではない言葉で接客して“トップセールス”に上り詰めたのだ。
売りたい商品の良さを把握し、心から伝えていけば、思いは客に届く。この成功体験が後に繋がっていくことになる。
2年間、無遅刻無欠席で通った専門学校を卒業すると同時に、そのままアルバイト先のエステ会社へ就職する予定だった。ところが、卒業直前に問題が発生した。就労ビザが下りなかったのだ。
「通訳の業務などであればビザが下りたかもしれませんが、おそらく仕事内容で却下されたのだと思います。それでも、学校の紹介もあってなんとかアパレル会社に就職できました」
■アパレル会社でファッションに目覚める
その会社は大手服飾メーカーから請け負って製品の製造、または企画開発から製造までを行う20人規模の会社だった。工場がある中国とも取引があり、燕さんは通訳と生産管理を任された。
「会長や社員のみなさんに教わりながら、一からファッションの勉強を始めました。これは“セーター”、これは“カットソー”など、本当に基本的なことからでした」
次第に素材や構造など専門的な知識も身に付き、自身でデザインを提案し、実際に商品化されたこともあった。頭に描いたものが形になって客の元へ届くことに「なんとも言えない喜び」を感じたという。
服を作る楽しさを知り、4年間夢中で働いた。ところが、勤め先が民事再生を申請、実質の倒産だった。燕さんは一念発起し、’10年5月に自宅の1室をオフィスにしてたった1人で独立した。
初仕事は、これまで取引をしていた中国の工場からの依頼。失った仕事を埋めるため日本で“営業”をかけてほしいとのことだった。燕さんは営業未経験ながら、面識のあった小売店に掛け合った。
「現状を話したところ、親身になって聞いてくださって、“ニット50枚”の製造を初めて受注しました。嬉しくて、一気にやる気に火がつきました」
仕事の受注はあくまでスタートラインだ。値付け、サンプルの納期、通関、関税、輸送、検品、やることは山積みだった。スケジュール調整と品質管理を担う“生産管理”しか知らない燕さんには全て初めての経験だった。
「目の前のタスクが増えすぎてどうしていいか困ったときこそ、まずはひとつひとつ丁寧にこなしていくことが大切なのではないかと思います。わからなければ勉強して知識を身に付ければいいのです」
インターネットで調べたり、ときには知り合いに教わりながら、2ヵ月後、無事に50枚のニットを納品した。
