「その掃除はあなたの病気です」とセツに激怒、東京は「地獄」呼び…『ばけばけ』モデル・小泉八雲の「癇癪持ちな素顔」
画像を見る 松江時代に八雲が住んでいた「旧小泉邸」では、八雲愛用の机のレプリカを展示。机に顔を近づけて執筆していた(撮影:小野建史)

 

■「あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません」。徐々に磨かれるセツの怪談話

 

八雲は東京の帝国大学文科大学の英文科講師として上京することに。

 

「ところが八雲は、東京を“地獄のようなところ”と言うほど都会嫌い。それを3年の期限付きで説得したのがセツでした」(伊藤さん)

 

東京での拠点選びも、いかにも八雲らしい。なぜかお化け屋敷のような家を探してくるのだ。

 

八雲は、大きな蓮池のある、うす気味悪い家を《面白いの家です》と気に入ってしまった。

 

「セツに止められて断念したのですが、後で聞くと、化物屋敷と評判で、家賃を下げても借り手が見つからず、ついには取り壊されるほどだったそうです」(小泉さん)

 

大学近くに住むことはせず、人力車で1時間ほどかかる富久町で、瘤寺という山寺の隣に居を構えた。八雲は瘤寺を気に入り、時間があれば散策するほど。《ママさん私この寺にすわる、むつかしいでしょうか》と、へルン言葉で瘤寺に住みたいと訴えたが、セツからは《あなた、坊さんでないですから、むつかしいですね》と諭されたという。

 

これほど気に入っていたが、瘤寺にあった大きい杉の木が3本切られたことで《何故、この樹切りました》《あゝ、何故私に申しません。少し金やる、むつかしくないです》と激高し、瘤寺近くの家から引っ越してしまうのだ。

 

「八雲は癇癪持ちだったようです。感情をすぐに行動に移してしまうことがあったようです」(伊藤さん)

 

そんな八雲の性格を、セツは十分に理解していた。

 

万事が凝り性の八雲にとって、出版社が本人の了解なしに挿絵や表題などを決めてしまうと許すことができず、癇癪を起こし、怒りの手紙を書いて、セツに郵便で出すように手渡すのだ。

 

「セツは八雲の悪いクセを見透かしていたから、『はい』とだけ返事をして、手紙を受け取っても、出すことはしません。すると、2~3日たって冷静になった八雲が悔やむように『ママさん、あの手紙出しましたか』と聞くのです。投函しなかった手紙を出してあげると、八雲は『だから、ママさんに限る』などと喜び、穏やかな内容に書き換えるのです」(小泉さん)

 

東大から解雇通知が届いたのち、早稲田大学で教鞭を取ることになり、大学近くの西大久保に夫婦最後のすみかとなる一軒家を建てた。

 

《ストーヴをたく室が欲しい。又書斎は、西向きに机を置きたい。外に望みはない。ただ万事、日本風に》というのが八雲の望み。

 

セツが何か相談しようとしても任せきりで、自身は執筆活動に集中した。セツはハーンの執筆を支える。《ヘルンは面倒なおつき合いを一切避けていまして、立派な方が訪ねて参られましても、『時間を持ちませんから、お断り致します』と申し上げるようにと、いつも申すのでございます》と述懐している。執筆中の八雲は神経質で、セツも気を使わなければならなかった。

 

「八雲は目が悪い分、においと音に敏感だったのでしょう。掃除好きのセツが出すはたきの音などがすると《その掃除はあなたの病気です》《箪笥を開ける音で、私の考こわしました》とたしなめるのです」(伊藤さん)

 

1903年には第4子の長女を出産。このころ、八雲は代表作となる『怪談』の準備に取りかかり、ますますセツの助けが必要になってきた。

 

「セツは八雲に代わって、上野、神田、浅草などの古本屋に行って書物を探し回ったそうです。こうして集めた怪談本は、八雲が《私の宝です》と大事にしていました」(小泉さん)

 

セツは古書で新しい話を仕入れると、はじめに話の筋を話し、八雲が興味を持つと、大筋を書きまとめる。さらにセツが物語の詳細を話していくのだが、本を見ながら話すと《本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考でなければ、いけません》と、物語を完全にセツのものにさせるのだ。

 

ついには寂しそうな夜、ランプの芯を下げ、雰囲気をたっぷりに高めた部屋で、セツの怪談話に耳を傾ける。八雲はセツに質問するときも声を低くして、恐ろしそうに聞くため、セツの語りにも力が入っていく。そのためだろう、セツは恐ろしい夢を見てうなされることもあったほど。

 

「そんなとき、八雲は優しく《それでは当分休みましょう》と休ませてくれました」(小泉さん)

 

こうした共同作業で、八雲は執筆作業に入るのだ。『耳なし芳一』を執筆しているときのことだ。日が暮れてもランプをつけずに没頭している八雲に、セツはふすまの外から小さい声で《芳一芳一》と呼んでみると、《はい、私は盲目です、あなたはどなたでございますか》と、すっかり芳一になりきって、黙って座っていたほど。竹やぶの笹の葉がサラサラと音を出すと《あれ、平家が亡びて行きます》と、現実と物語の世界を行き来していた。

 

「芳一のような障害のある社会的弱者を、隻眼である自身に重ね合わせているところもあったのではないでしょうか。

 

しかも、セツの語り部としての完成度が高いために、セツが描いた世界に八雲が完全に入り込み、主人公になり代わって執筆できたのです。こうしてできあがった代表作となる『怪談』の最大の功労者はセツです。セツの人生の中で、八雲と過ごしたのはわずか13年8カ月です。しかし、もっとも色濃く、人生で輝きを放っていた時間でもあるはずです」(小泉さん)

 

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