■心臓病の発作で突然死した八雲……。「あきらめのつくまで、いてほしかった」
《晩年には健康が衰えたと申していましたが、淋しそうに大層私を力に致しまして、私が外出する事がありますと、丸で赤坊の母を慕うように帰るのを大層待って居るのです。私の跫音を聞きますと、ママさんですかと常談(編集部注・冗談)など云って大喜びでございました》
晩年の八雲は、心臓を患っていたことから、よりセツに頼りきりだったようだ。
「日本文化が好きでしたが、食生活ではステーキが好きで、ウイスキーを飲んでいたことから、あまり健康的ではなかったようで、心臓病に苦しんでいたようです」(小泉さん)
八雲が亡くなる直前、桜が返り咲きしたことを、不吉な兆候としてセツは案じていた。八雲もまた、命の終わりを予知していたのだろう。亡くなる9月26日の朝、八雲は書斎でたばこを吹かしながら、不思議な夢を語った。
《昨夜大層珍らしい夢を見ました》
《どんな夢でしたか》
《大層遠い、遠い旅をしました》
《西洋でもない、日本でもない、珍らしいところでした》
その日の夜のこと、小さい声で《ママさん、先日の病気また帰りました》と訴えた。心臓に異変を感じたのか、胸に手をあてている八雲は、セツに促されてそっと寝床に休んだ。間もなく、八雲はセツとの人生を思い返したのだろう、少し笑みを浮かべて亡くなったという。
セツは心残りもあったようで《天命ならば致し方もありませんが、少しく長く看病をしたりして、愈々駄目とあきらめのつくまで、いてほしかったと思います。余りあっけのない死に方だと今に思われます》と述懐している。4人の子供がいるセツは、八雲の死から苦労が続いたようだが、旧知の仲間の助けもあり、著作物の印税の手続きも進めることができた。
「昭和7年、64歳で亡くなるまで、孫たちに囲まれて幸せに過ごしました。趣味人でもあったことから、謡や鼓を習ったりもしていたようです」(小泉さん)
今、2人は池袋の高層街から見下ろせる、東京都豊島区の雑司ケ谷霊園で眠っている。隣り合わせの墓の間を爽やかな秋風が吹き抜けると、正面に臨む木々がざわめいた。「むかし、むかし……」と、八雲に怪談を語るセツの声のように。
取材・文・撮影:小野建史
参考:小泉節子『思い出の記』
画像ページ >【写真あり】小泉八雲のひ孫で、小泉八雲記念館の館長を務める小泉凡さん。小泉八雲旧居の入口にて撮影(他3枚)
