■「私はまだマシ」と思い、気持ちを切り替えて前を向きました
1953年4月12日、埼玉県生まれ。3人きょうだいの長女として育つ。
「洋裁が得意な母(良子さん、94歳)の見まねで、私は幼いころから裁縫技術が身に付いていました。小学校入学前から、スカートや袖なしシャツを作っていたんです。
家の前の道路にゴザを敷いて、近所の女のコを集めては、ファッションショーをしていました」
元米軍通訳でさまざまな事業を手掛けていた父が、保証人として知人の借金を肩代わりさせられ、戸建ての自宅を出ざるをえなくなったのは、彼女が小2のころ。
「2間の風呂なしアパートでの暮らしに変わりました。母が『こうなったのはお父さんが悪いんじゃないの。お父さんは悪いことをしていないんだから、あなたは太陽の下を、大手を振って歩けるんだからね』と。
その言葉が、後々『絶対に成功してみせる!』という強い気持ちを私に持たせてくれました」
1972年、19歳で江古田にジーンズショップを開店し経営デビュー。
5年後の1977年、下北沢の古道具店に飾られていたプレートに水兵さんと「SAILORS」の文字を見つけ「あっ、かわいい!」。そのイメージをモチーフにしてセーラーズのキャラクターを誕生させて話題となったが、この直後、不動産詐欺に遭い約5千万円もの負債を抱えてしまう。
「債権者の会議に出てみると、1億円以上持ち逃げされた人もいました。動揺と不安ばかりでしたが『まだ私はマシじゃないか?』と切り替えて前を向きました」
転んでもタダでは起きない静加さんは、多額の負債を抱えたまま1984年、渋谷に9坪のお店を開く。
そこで展開した「セーラーズ」のアイテムが一躍、全国区の人気を獲得。店は連日、朝から「入店待ち」の大行列ができたのだ。
「セーラーズの商品は、生地の染め方も縫製もすべて国内で、こだわり抜いて少数だけ製作するので、単価は安くありません。それでも1万円ほどのTシャツやトレーナー、10万円以上のジャンパーが、すぐに売り切れてしまいました」
お客さんの入店は1回15分、上限15万円と制限して営業したが、「1日の売り上げが3800万円という日もあったんです!」
当時から、とんねるずや元大関の小錦さん(62)など各界の著名人に愛され、マイケルさんのほかにもシルベスター・スタローン(79)、ジャッキー・チェン(71)など世界的スターに求められた。
生みの親で経営者の静加さんはビジネス的に大成功をおさめたのだが、2000年に突如として閉店し、彼女自身もパッタリ、表舞台に出なくなってしまった……。
じつは、静加さんは1999年5月15日、当時のパートナーとのあいだに授かった長女・静良(セーラー)エミーさん(26)を、46歳で出産していたのだ。
「体重1733g、身長42cm、妊娠8カ月で生まれた早産で、すぐに肺の手術が必要という状況でした。そして1歳のとき脳性麻痺という診断を告げられました」
脳性麻痺とは、妊娠中から生後間もないあいだに脳に受けた損傷で、脳機能の障害や、体が不自由になる後遺症のことだ。
「2000年に、セーラーの介護とリハビリに専念するためにお店を閉店したんです。母である私が落ち込んでいても、セーラーにも、周りの方にもいいことはひとつもありません。だから、つねに笑顔で過ごすことを心掛けました」
静加さんの笑みに春花のような若々しさと、生命力が感じられるのは、そんな芯の強さのうえに、人への慈しみがあふれているからなのかもしれない。
以来、セーラーズは期間限定のポップアップショップ開催などに限って販売されてきたのだが、再び脚光を浴びたのは2020年のコロナ禍でのこと。
