■帰国するときには母と手をつなぎ歩いて
生きる道は心臓移植しか残されていないが、日本では小児の臓器提供者が極端に少なく、海外での手術を選択せざるをえないのが現状だ。米国での移植手術を模索したが、折しも2022年は急激な円安が進行した年だった。もともと高額だった費用は跳ね上がり、佐藤さん夫妻は募金に頼らざるを得なかった。
「娘に病院以外の世界を見せてやりたという、極めて私的なことで、みなさまにお金をいただくのは、本当に申し訳ない気持ちでいました」(昭一郎さん)
両親の必死の呼びかけは各メディアで報じられ始めた。本誌も記事で募金を呼び掛けたメディアのひとつだ。報道が始まってから、わずか1カ月ほど経った2022年12月には目標額5億3千万円を達成することができた。
医療機関の受け入れ体制が整った2023年3月に渡米した。あおちゃんは、常にコピー機ほどの大きさがある補助人工心臓につながれ、なんとか命が保たれている状態。しかも補助人工心臓を使用すると常に脳出血や脳梗塞のリスクがあるため、ドナーがあらわれるまでの、時間との戦いも強いられていた。
「最初にドナーが見つかったのは渡航して5カ月ほど経った8月初旬でしたが、翌日、ドナーの臓器の状態が悪いために見送りになりました。肩透かしのようなかんじでしたが、医療スタッフからは『待機リストの上位にあるから気を落とさないで、もうすぐだから』と励まされました」(清香さん)
新たなドナーを待つということは、別の子供の脳死を待つということでもある。複雑な心境にあったが、我が子のことで気持ちがいっぱいいっぱいだった。
「次にドナーが見つかったのは8月11日で、12日に移植手術ができました。早朝、手術室に向かうときはスタッフがシャボン玉をふいたりしながら、明るく送り出してくれたので、緊張も少し和らぎました」(清香さん)
16時間かかるといわれていた手術は12時間ほどで終了。「いいかんじだ!」という執刀医の言葉に安堵。集中治療室で対面したあおちゃんは、いくつもの医療機器に繋がれていたが、どこに行くにも繋がれっぱなしだった大きな補助人工心臓が外されていたことで、手術の成功を実感した。
「移植手術から2週間ほどはまったく動かず、本当に元気になるのか不安でしたが、一般病棟に移ってお姉ちゃんが笑わせようとおどけると、葵が笑顔になってね。それでようやく安心できました」(昭一郎さん)
移植手術から3カ月半後の2023年12月に退院。渡米するときはさまざまな医療機器につながれていたあおちゃんだったが、帰国するときは清香さんと手を繋いで、自分の足で歩くことができた。
