「40代、50代のビジョンはあえて決めないようにしています。ロングスパンでのビジョンや目標を決めず、いろんな出合いを受け入れて進んでいくほうが、自分が求めていないすごいものに出合えるんじゃないかなって」
そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第72回のゲスト・タッキーこと滝沢秀明(34)。14〜15歳から、ジャニーズJr.約120人をまとめ、Jr.黄金期をけん引したタッキー。中山とはデビュー当時以来、約20年ぶりの再会。和気あいあいとした雰囲気で対談スタート!2人にじっくり語っていただきました。
中山「20歳のときにタッキー&翼でデビューしてから、もう14年。『滝沢歌舞伎』も11年がたちますね」
滝沢「大河ドラマ『義経』で主演を務めたあとに、オファーをいただいたんですね。公演回数は550回を超えています。まさかここまで続けられるとは思いませんでした。当時はジャニーズで和に特化した舞台は初めて。それまでのジャニーズのスタイルは洋というか、キラキラした姿を好むお客さんが多かったので、和というコンセプトは賛否両論、いろんな意見がありました」
中山「お客さんに認めてもらうまでにいろいろな試行錯誤をして?」
滝沢「やっぱり焦りはありましたね。殺陣も日舞も和太鼓も猛練習しました。和太鼓の練習では、いまだに皮がむけて、手がボロボロになります。稽古中にむけて、かさぶたになって、カッチカチになります」
中山「そんな『滝沢歌舞伎』は、今やタッキーのライフワークになったよね」
滝沢「僕自身も若いときは『ロックやヒップホップのほうがカッコイイ』と、和の文化に触れるのは非常に抵抗があった時期もありました。実は、大河ドラマも出演するまではやりたくないと思っていたんです。でも、そこでチャレンジしていなければ、今はこうなってなかった。だから、何事にも否定的にならず、文句を言うならやってからと決めたんです。やり続けてよかったって心底思っています」
中山「クリスマスシーズンには初めてディナーショー(『滝沢秀明 X’mas Special Show 2016』)もやるんだって?」
滝沢「僕もまもなく35歳。デビュー当時から応援してくださるファンの方も多いので、スローナンバーを中心にしたしっとりとした大人の時間を過ごせるステージにする予定です。ディナーショーは1年間の自分へのご褒美ですから、貴重な時間にできればと思っています」
中山「今後の展望は?」
滝沢「芸能界に入って、裏方の人たちの仕事を見て、いろんなことに興味を持ちました。監督業には興味があります。僕らは表現者ですが、ある意味料理される側。自分が表現したいことを100%出しちゃいけない。監督やいろんな人の意向をくまなければいけない。監督は自分こそ表に出ないけれど、自分の描きたいものや魂などすべてを出し切れるので、いずれやりたいなっていう思いはすごくありますね。裏方こそ、自分のすべてを出し切れるんじゃないかって思うんです」