11月21日、立川談志さんが喉頭がんのため亡くなっていたことが23日に発表された。75歳だった。最後の日々を共に過ごしたのは、51年もの間、夫についてきた則子夫人(73)だったという。

2人の出会いは、談志さんが20歳、則子さんが17歳の春だった。当時、婚約者がいた則子さんを、談志さんは強引に口説き落としたという。’60年11月、2人は入籍。談志さんは破天荒なキャラクターとは裏腹に、妻・則子さんを非常に大切にしていた。しかし、二人が一緒に暮らしている時間は、多くはなかったようだ。

「談志さんは奥さんを非常に大切にしていましたが、夫婦が一緒に暮らす時間は、そう多くはありませんでした。奥さんは、噺家としての立川談志を、家族が縛りつけてはいけないとも思っていたのでしょう。談志さんはあちこちに部屋を持つようにして、別々に暮らしていました」(演芸関係者)

そんな夫婦だが、昨年談志さんに喉頭がんが再発すると、則子さんの意思で2人きりで過ごすことになった。

「昨年11月に再発したのを機に、奥さんの意志で文京区・根津のマンションで2人きりの生活を始めました。以来、再入院の日まで、本当に夫婦水入らずの1年間を過ごしたんです」(前出・演芸関係者)

10月27日、病状が急変した談志さんは心肺停止状態に。以来、一度も目覚めることなく11月21日に永眠した。

「実は死去の発表を2日間遅らせたのも、奥さんの強い要望だったそうです。奥さんとしては立川談志ではなく、最愛の夫・松岡克由と夫婦のお別れをするために、この2日間が必要だったのでしょう」(前出・演芸関係者)

23日に開かれた密葬では、気丈に振る舞う則子夫人の姿があった――。

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