「2008年に〈持病のてんかんの発作で転倒事故。胸と喉にローソクが刺さって入院〉という発表がありました。でも、真相は違います。自殺未遂でした。お酒を飲んでいるときに絶望感に襲われ錯乱して、包丁で自分を刺しちゃったんですよ。運よく心臓から数ミリ離れていた。気づいたときには床が血の海で……当時は極度のアルコール依存症でしたからね」

TAIJIはそう言いながらTシャツを脱いで、左胸に残る生々しい傷痕を見せた。独占インタビューが最初に行なわれたのは’10年の春。このとき彼はすでにX JAPANを離れていたが、直後YOSHIKI本人から電話があり、8月14日の日産スタジアムでのライブに18年ぶりにベーシストとして復帰を打診される。

「西麻布のレストランに行ったら、YOSHIKIだけじゃなくToshIもいて『日産ライブに参加してくれないか』って。どの曲、やるんだろうな~」

しかし、ライブが近づくにつれ、TAIJIの表情は曇りがちになっていった。彼はなかなか曲目が決まらないことにイラついていた。そしてライブ前日、届いたラインナップに彼は深く沈み込む。TAIJI登場の曲は『X』の1曲だけだったのだ。関係者らの証言がある。

「音合わせも当日だけ。本番も、X時代に作ったTAIJIのベースラインは今の正式メンバーであるHEATHが担っているので、TAIJIはそこに干渉しない別の音域でベースを弾いていました」

ライブ開始前、リハーサルから戻ったTAIJIは2時間弱でロング缶のビールを10本、流し込むように飲んでいたという。そして、ライブ終了後。

「TAIJIはYOSHIKIが自分の楽屋を訪ねて、労をねぎらってくれるものだと信じていた。ところが、YOSHIKIは楽屋のドアのところから『あっ、お疲れさん』と、スッと帰っちゃったみたいなんです」

「サイパンでギター教室を開く」夢を抱き、彼がサイパンに向かう飛行機内で暴れて逮捕されたのは、日産スタジアムのライブからおよそ1年後の’11年7月11日。その後、拘留中のベッドのシーツで首を吊り、意識不明の重体に陥り、ICUでの治療もむなしく17日、帰らぬ人となった。享年45。

日産ライブ後の最後の取材のとき、彼はおもむろに靴下を脱ぎ、左足を見せながら穏やかに言った。以前から膠原病を患っていた彼の親指は、大きく彎曲していた。

「すでに左足はなくしたようなもんです。でも、俺は左足をなくしても、あのXのステージに立ったんです」

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