2011年5月、愛知県『市邨中学』のいじめ訴訟で、地裁は学校側に対し約1千500万円の賠償を命じた。女手ひとつで育てた美桜子さん(享年16)の”悔しさ”を晴らしたい……。母はクラスメートへの聞き込み調査、学校とのやりとりの録音データなど、たった一人で集めた「記録」を抱えて裁判に臨んだ。これは、いじめ発覚から判決を勝ち取るまでの、4千日に及ぶ母の執念の物語だ——。

現在も居を構える愛知県刈谷市で生まれた高橋典子さん(54)は、大学卒業後、バイリンガル教育を学びたいとカナダへ留学。トロント大学の大学院生のときカナダ人男性と結婚。’89年12月30日に女の子を出産。美桜子と名付けた。その後、離婚してシングルマザーとなった典子さんは、4歳半の娘と帰国。間もなく市邨学園女子短大(現名古屋経済大学短期大学部)の英語教師となる。娘の美桜子さんは明るく、小学生のころから劇団に所属し、ハーフで目立つ容貌。「自分のゼミ生など、市邨中、高出身の生徒たちはおっとりしていて。美桜子にもこの学校は合っているかなと思って、中学から入学させたんです」

2学期になった途端、美桜子さんが学校に行くのを嫌がるようになった。甘えているだけだとベッドから引きずり出そうとしたとき、「いじめられてるから行きたくないのッ!」と大声で泣きじゃくるわが子を見て、初めて事の重大さを知らされた。それから、教室で美桜子さんの机にチョークで「死ね」と書かれたり、シカトなどのいじめに苦しんでいると、ぽつりぽつりと語られた。すぐに担任に連絡するが、「わかりました」と言うものの、美桜子さんの悩みは解決しない。そこで、典子さんは学園理事長を頼った。だが彼はこう言い放ったという。

「子供が傷つくのはたいしたことではない。頭をピシャッと叩いて、首に縄を付けて学校に引っ張っていけばいい。あんたは娘がハーフで個性があると勘違いしているみたいだが、それはあんたの勝手な勘違い。うちに来るような生徒は凡人ですよ、凡人」

その後も執拗にいじめは続く。廊下ですれ違うとき「キモイ」「ウザイ」「眉毛が太すぎ」「毛が濃い」とひどい言葉をぶつけられ、スカートを切られたことも。最も傷ついたのは靴に画びょうが敷き詰められていたとき。「美桜子がその靴を持って担任に報告すると、『学校の備品だからもらっておく』って。ショックで言葉が出なかった。このことは後に美桜子が号泣しながら語ったんです」。1学年の終了式の後の電話で「ママ、市邨だけは、もう絶対に行けない」と美桜子さんが訴えた。この日、美桜子さんが教室に入ると、同級生たちが「臭いから空気の入れ替えをしよう」と、教室や廊下の窓を全開にしたというのだ。「転校手続きの電話をすると、担任は淡々とした口調で『私の力不足です。ハンコを持ってきてください』と」

《市邨での一年間は、私も美桜子さんの力になることが出来ずに、嫌な思いばかりさせて大変申し訳なく思っております。(中略)私もあなたの転校を無駄にすることのないように「いじめ」に対して真正面からぶつかり何とかなくすことが出来るよう努力をしてゆきたい》。担任から美桜子さん宛ての手紙が届いたのは、中2で公立中学に転校してしばらくしてから。いじめを認めていると読める文面だが、その内容を担任は後にきっぱりと否定した。事態はますます悪化していた。追い打ちをかけるようにかかってくる無言電話。元同級生から「新しい中学に行っても、そこの友達に連絡していじめてやる」と聞いた美桜子さんは怯えた。

転校も心の傷を癒すすべにはならず、この後、フリースクールを経て、中3を目前にして南山国際中学へ。ある夜、突然、ベッドで美桜子さんが妙な話を始めた。「私は美桜子さんと交信している者です……私は美桜子じゃありません。美桜子さんのことを”教える人”です……美桜子さんの心の中に明るいものがなくなってしまった」。主治医の診断は解離性同一性障害。多重人格と呼ばれることもある。あまりのつらさに、起きていることは現実じゃないと心にブロックをして、別人格が発生する症状だ。以降も深夜になるとコギャル風や怒る人などいろんな別人格が現れた。続いて救急車で運ばれるほどのパニック発作の症状が始まり、いじめのフラッシュバックが襲った。「ママ、いつになったら、普通の女の子に戻れるの?」

’06年の高2の一学期には、睡眠薬の過剰摂取など自殺未遂を繰り返すようになる。母の気持ちはわかっていたはずだ。ただ、死にたいと思ったとき、フラッシュバックが起きて常とは違う意識になってしまう——8月18日、16歳の夏。美桜子さんは真赤なサインペンでノートに遺書を残した。《まま大好きだよ……でもね、もうつかれたの。みおこの最後のわがままきいてね……みんな愛してるよ。でも、くるしいよ。》。そして、彼女はマンションの8階から身を投げた——母親が学校の教員でもあったにもかかわらず、美桜子さんの葬儀・告別式に弔問する大学職員や市邨中学の教師や同級生の姿はなく、香典も供花もいっさい届かなかった。

「『死ね』は?(クラスメート)全員だよね?」「そうですね」「美桜子とすれ違ったり、顔を見ると、死ね、死ねって言ってたよね」「そうですね」「それも夏休みから、転校までずっと、だよね」「はい」——典子さんは、美桜子さんの同級生から話を聞き始めた。すでに’08年2月。3月になれば同級生も市邨高校を卒業する。生徒の中には、墓参りを申し出たり、自分もいじめられていたと告白する者もいたという。同時に典子さんは、市邨にアプローチした。しかし「親が間に入って『あんたのやっていることは脅しだ』と一蹴されました。教師も同様。どうも市邨学園は、理事長には何も言えない組織のようです。いじめは認めないし、すべて隠蔽する。それで卒業まで引き伸ばして、調査をできない状態にする——」

愛知県の私学振興室に相談して、ようやく担任との面談がかなったのは5月20日のこと。面談は5時間に及んだ。学校側は一貫して「いじめそのものがなかった」という態度だった。私立学校の場合、「私学の自主性」が尊重され、文部科学省にも訴えを聞いてくれる窓口がない。’09年、典子さんは訴訟に踏み切った。市邨学園側は真っ向から対立。一審終盤では、被告の立場では真実は語れないと判断し、同級生たちとは和解しているが「和解後の法廷では、生徒全員の証言が敵対的なものばかりだったのが、いちばんつらかった」という。そして’11年5月20日。名古屋地裁は、市邨でのいじめと教師らが何ら対処せず放置したことによって、美桜子さんが解離性同一性障害を罹患、自殺に至ったことは明らかだと断じた。市邨学園側は一審判決の直後に控訴。

裁判の間ずっと典子さんを支えていたのは、もちろん美桜子さんの存在だ。彼女が好きだったバンドのライブにも積極的に出かけている。「まあ、いい年をした私がライブに行けば目立ちますよね(笑)。全国ツアー全公演を制覇することを『全通』って言うんですけど、51歳のときに達成しました。親であり続けたいんです。やっぱり、親としてわが子を救えなかった後悔があります。残された人生が美桜子のためにあるのならば、美桜子がやれなかったことをやりたいし、いじめによって後々まで精神的に苦しめられることもある事実を伝え続けたい」

まもなく控訴審の判決が下される。司法はこの母の声をどう受け止めるのか、日本中の親たちが見守る。

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