「10年前、拉致被害者の5人がタラップから降りてこられたときは切なかったですね。もしかしたらめぐみが飛行機から出てくるかもしれないとか、つい期待してしまって……」

横田早紀江さん(76)は深くため息をついた。北朝鮮が日本人の拉致を認め、5人の拉致被害者が帰国を果たしたのは10年前の10月15日だった。10月4日、めぐみさん48歳の誕生日の前日、めぐみさんの両親・滋さん(79)と早紀江さんが改めてこの10年を振り返り、語ってくれた。

「10年前の帰国はこれが手はじめで、次はどんなかたちで拉致被害者の帰国のために政府が動いてくださるんだろうと思っていたら、それ以降はもう全然動かない……。こんなに一生懸命やっても、さっぱり動かないですね」(早紀江さん)

13歳の少女が拉致されてから、もう35年もの歳月が流れている――。

「拉致問題の解決を求める講演会活動は、もう1300回を超えていると思います。全国47都道府県、全部回りましたからね。まだ10年前は若かったので大丈夫でしたが、ここ1〜2年は疲れますね。声がかすれちゃって。ちょっと食欲もないですし、夫婦お互いにちょっと元気がありません。政府の様子を見ると、また余計に疲れちゃてね。どうして拉致問題の解決が進まないのかと……」(早紀江さん)

アルバムをめくりながら話すうちに、家族会を作った当時の写真も出てきた。’97年3月に『北朝鮮による拉致被害者家族連絡会』として発足した家族会。

「まだみんなこんなに若かったんですよ。髪の毛も黒かったし。あっという間に15年も過ぎちゃって。拉致被害者の親世代で活動できるのは、私たちと有本さんのところだけなんです。私たちには時間がないんです」(早紀江さん)

この10年間は横田夫妻にとって、期待と失望の繰り返しだったという。

「大韓航空機爆破犯の金賢姫さんに会ったときに、田口八重子さんとめぐみはなぜ日本に帰れなかったのか訪ねました。彼女は理由を言いませんでしたが『2人はいちばん最後になるだろう』と。学校で日本語などを教えていたため、たくさんの工作員の顔を覚えているから、日本に帰ると工作員たちが仕事しづらくなるからではないか、という説もあります」(滋さん)

支援の手紙は部屋中いっぱいで、送られてきた千羽鶴はダンボール6箱分にもなるという。

「めぐみが帰ってきたらどこか体育館を借りて、それを全部並べて見せてあげたいと思っています。『こんなに多くの人があなたのためにがんばってくれたのよ』って」(早紀江さん)

両親の思いがかない、めぐみさんと再開できる日が、1日も早く来ることを願う――。

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