「(父が)よく眠れるようにと、骨壺に睡眠薬を入れて、無理やり埋めてやりました……」
昨年11月21日、喉頭がんで亡くなった立川談志さん(享年75)。その長女・松岡弓子さん(49)が、8日に行われたドキュメンタリー『映画 立川談志』の、初日舞台挨拶で、父の納骨を12月2日に済ませたことを明かした。

実は談志さんの大部分の遺骨は骨壺に入ったまま自宅マンション内に1年以上の間、ずっと置かれたまま。その背景には、“墓騒動”があったという。
「原因は、談志さんが自分で決めた戒名です。十年以上前に本人が気に入って決めたのは『立川雲黒斎家元勝手居士という戒名。無宗教を公言していた上に、戒名が『うんこくさい』では、引き受けてくれるお寺はありませんでした」(前出・談志さんの知人)

 この戒名が生前から公表されていたため墓地の契約寸前まで行ってダメになったことも。
「お寺が持っているお墓に入ろうと思うなら、そのお寺の住職に戒名をつけてもらうのが普通。談志さんには先祖代々のお墓もあるそうですが、戒名が戒名な上に、本人の遺言が『坊主は呼ぶな!』ですから(笑)。遺族は故人の遺志を汲んで本名の『松岡家』の墓ではなく、『立川談志』名でのお墓を建てようとこの1年、奔走してきたんです」(前出・知人)

 家族総出で、都内の墓地を5、6カ所回ったが、受け入れてくれるお寺が見つからず、公営墓地も年1回の抽選が高倍率。墓への納骨は半ばあきらめかけていたのだという。
「ところが談志師匠が生まれた小石川(文京区)や、住んでいたマンションにも近い場所に、条件の合う墓地があったんです。宗教宗派は問わず、墓石に何を書いても結構、お参りはいつでもご自由に、という場所がね・・・」(談志さんの弟子)

 今年、開山四百年という、由緒ある寺に隣接するその霊園を訪れてみると、鏡のように磨かれた黒御影石の墓石に大きく『立川談志』と彫られていた。そして側面には堂々とあの『立川雲黒斎家元勝手居士』の戒名が刻まれていた。契約は今年の夏ごろだったという。
「お墓の大きさやデザイン、彫り込む文字が決まり、お墓が出来たのは11月になってからです。納骨式では、ご遺族の他に、お弟子さんなど30人ほどが参列し『献花式』という形で、ひっそり納骨が済まされました」(前出・霊園関係者)

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