「(中村)勘三郎さんと出会ったのは、私の初めてのヒット作『テルマエ・ロマエ』の第1話の読み切りが、雑誌に掲載されたあとでした。当時はポルトガルに住んでいて、日本の反応を知らない私にとって、『テルマエ』の最初の読者は、偶然、観光に来ていた勘三郎さんだったんです。主人公のルシウスを見て、ゲラゲラ笑いながら『こういう男がタイプなの?阿部(寛)ちゃんみたいだねえ』と言ってくれたのです」
12月5日に逝去した、歌舞伎俳優の中村勘三郎さん(享年57)との秘話を語るのは、漫画家・ヤマザキマリさん。今年、邦画で最大級のヒット作となった映画版『テルマエ・ロマエ』の主演を阿部寛が演じる3年前に、勘三郎さんは予言していた。
ヤマザキさんが、再び勘三郎さんに会う機会に恵まれたのは、それから約3年後。『テルマエ』が映画化され、そのプロモーションのために日本に帰ってきたときだった。
芝居に招待されたヤマザキさんは芝居後、合い言葉のように『ご飯を食べに行こうよ』と勘三郎さんに声をかけられ仲間うちで繰り出した。そのなかにはヤマザキさんの友人で作家の島田雅彦氏もいた。そして、その席で島田氏の作品『英雄はそこにいる』の話題になると、勘三郎さんは腕を組んで黙って話に聞き入り、思いついたようにこういった。
「ねえ、その作品をヒントにして、ギリシャ歌舞伎やんない?ヘラクレスを。あなた(島田氏)が歌舞伎書いて、あんた(ヤマザキさん)が美術やってさあ。やろうよ」
その後、どんちゃん騒ぎは4時過ぎまで続き、ヤマザキさんはホテルで1、2時間仮眠をとっただけで朝のNHKの番組に生出演。すると勘三郎さんはなんと番組を見ており、「海老蔵を押さえたから。3年後くらいだと思うよ」と電話をしてきたという。
そんな、ギリシャ歌舞伎という突拍子もない夢が徐々に形になろうとしていたとき、勘三郎さんの食道がんが発覚。今年12月、帰らぬ人となった。カンボジアの取材から帰ってきた直後に訃報を知った彼女は仕事も手につかず、涙がかれるほど泣いたという。その後、妻・好江さんに連絡し、自宅に伺ったときのことだった。
「なぜか涙は出てきませんでした。いつも活力に満ちている姿しか知らないので、眠っている姿を見て“勘三郎さんじゃない”と不思議な気持ちになってしまって……。お家を辞するとき、背後から好江さんが、勘三郎さんがいつも遊びに誘ってくれた、私達をひとつにつなぎ留めておいてくれる大事な言葉をかけてくれました。『また、ご飯食べようね』と。私は涙をこらえ『はい、食べましょう』と答えました。この言葉があると、またいつか、みんなで会えるような気がするのです」