「舞台『放浪記』の第1回公演で着た衣裳もありますが、親交のあった野茂英雄選手からもらったノーヒットノーラン達成時のボールもあるんですよ。交友関係の広かった森さんならではの遺品も展示予定です」と語るのは、石川県・山中商工会長の田中実さん(74)。
昨年11月10日に森光子さん(享年92)が亡くなって半年後の4月27日、石川県加賀市山中温泉に森さんの記念館『森光子一座』が開館する。森さんの私物のほか、東宝が所有している舞台衣装など約2千点の“遺品”から選ばれたものが展示される予定だ。実は、田中さんは、森さんから直接“遺品”の管理を託されていたという。
2人の出会いは2002年。当時、山中町の町長だった田中さんが舞台と共同浴場を併設した芸能文化の殿堂『山中座』のオープンに奔走していた際、森さんに名誉座長になってほしいと依頼したことがきっかけだった。6度に及ぶ“東京詣で”の末、森さんは名誉座長に。その後も2人の親交は続いた。そんな中、2009年5月に森さんは舞台『放浪記』の2千回記念公演を達成。その打ち上げで、田中さんは思いもよらぬことを持ちかけられた。
「打ち上げが終わり、人がいなくなってきたころでした。森さんに『今後についてご相談したいことがあります』と鉛筆で書いたメモを渡されたんです。そこには『あなたに私の芸能生活に関する物品の管理委託をお願いしたい』とありました。驚いて何のことか聞こうとすると森さんは『次に会うまでお互いにシーですよ』と口の前で指を1本立てました」
2008年から『放浪記』の名物だった“でんぐり返し”を中止していた森さん。このころ、彼女は和田アキ子に自らの進退を相談していたという。体調面を不安視する声もあるなか、’10年5月にはついに『放浪記』がドクターストップで公演中止に。その後、入退院を繰り返していた森さんから電話があったのは2012年5月のことだった。
「森さんから『一度、東京に来られませんか』と言われてピンときました。病室の森さんはとてもお元気そうでしたが、いつになく真剣な表情で『例えば、美空ひばりさんにはお子さんがいて、息子さんが記念館を管理されている。しかし私には子どもはいません……。色々考えましたが、お願いするとしたらあなたしかいない。誰もが自由に訪れることができて森光子を思い出してもらえる。そんな場所を作ってほしい』と漏らされていました」
それは、“国民の母”と言われた森さんの遺言だった。田中さんが快諾すると、森さんは心底嬉しそうな表情を浮かべていたという。しかし、田中さんが記念館オープンに奔走していた矢先の2012年11月、森さんは天国へと旅立ってしまった。
「今、私が思うのは『森さんとの最後の約束を絶対に守らなければ』ということです。残りの人生を記念館に捧げようと思い、仕事も辞めました。天国の森さんが喜んでくれるような記念館にしていきたい。そう思っています」