昭和を代表するスター『山口百恵』がデビューしてもう、40年。本誌はデビューからずっと、百恵さん(54)に迫り続けてきた。ときには電話をもらい、ときには諭され、ときには逆に追いかけられて……。あのとき書けなかった『女性自身』“百恵番”記者が初告白する、百恵さんの実像。

《子供が泣きだした。妻が大丈夫よとなだめても、怖い怖いと言い、泣き声はしだいに大きくなって》(三浦友和著『被写体』より)

 大騒動になったのは、長男・祐太朗の入園式のとき。幼稚園に向かう三浦家の車が信号で停止すると、報道陣が取り囲み、車内の長男にまでストロボの光を浴びせかけたのだ。このとき、友和さんは窓の隙間から差し込まれたカメラを奪い取り、百恵さんは車を降りて、カメラマンに平手打ちを食らわせた。

「同じ年の秋、幼稚園のお迎えを撮りたいと望遠レンズで正門付近を狙っていました。カメラマンが突然、言うんです。『重さん、来た。百恵ちゃんが来た!どうする?』って」

 そう話すのは現在、本誌皇室ジャーナリストとしてテレビでもおなじみの近重幸哉記者(51)。そのとき、百恵さんが運転するパジェロがものすごい勢いで近づいてきたという。

「バックミラー越しに、僕はパジェロを見ながら逃げました。でも、しばらく追いかけられて。ちょっとしたカーチェイス。百恵さんは、なかなかのドライバーぶりでした」

 近重記者が感じた百恵さんの激しい気性。アイドル時代には想像もつかなかった一面だった。

「僕は、中学生時代から百恵さんファンだったので、カーチェイスには驚きました。あれは子供を守りたいという親心。母の怒りでした。あの激しさは芸能界を7年できっぱりやめた潔さに通じるものだと思いました」

 華やかな世界からあっさりと身を引いてから、長い年月が過ぎた。主婦として家庭を、家族を守り続けてきた百恵さん。その暮らしぶりは常に注目を集めてきた。『人生で大事にすべきことは何か』を示し、そのとおりに実現する潔さは私たちの指針になってきた。子育てを終えて、迎える夫婦の時間。百恵さんは、今後も『お手本』となるたたずまいを見せてくれるのだろうかーー。

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