≪あきなー、ひとりー。こんなあたしですうー、すいません…≫
 こんな書き出しから始まる直筆メッセージが綴られた、中森明菜(48)のファンクラブ会報。それは9月中旬、会員に郵送されてきた。帯状疱疹により、10年10月に活動休止した明菜。精神的にも不安定な状態が続いている様子だったが、約半年ぶりに送られた会報の文面からもそれが伝わってくる。

 今年の7月13日、48歳の誕生日にたった一人で自宅にこもっていた“孤独な生活”を、明菜は会報でこう吐露する。
≪PM6:00 外、もう暗い。48(歳)かああああ~ でも、ほとんどひとりごとー。今日は7月13日だあー ハッピ~バースデーだあ~ ぜんぜんハッピ~じゃないけどネ。
 カラスがすかさず来る!! ハッピーバースデー言いに来てくれたのかナ! でもやっぱりカラスはイヤ!!≫

 会報の直筆メッセージからは、「さびしい」という明菜の心の叫びが聞こえるようだった。
 そんな明菜を、いつも遠くから見守り続けるのが、東京都清瀬市に住む父・明男さん(79)だ。記者から会報を見せられた明男さんは、顔を曇らせた。
「1人っきりの誕生日ですか…悲しいですね」
 いま明菜は“最後の砦”である家族からも孤立している。明男さんも明菜の兄たちも、明菜とは連絡が取れていない。じつは、その“長期の断絶”のなか、中森家は次々と不幸に襲われていた。
「じつは、明菜の一番上の姉の孫娘、私にとっては初の“ひ孫”が、去年、亡くなったんですよ。小児白血病で、骨髄移植したりと2~3年、苦しんだんですが、小学6年生で他界しまして…。明菜もとても可愛がっていた子でね。でも、明菜にはとうとう会えずじまいで亡くなりました。長女は、自身が苦しんでいる明菜に訃報を知らせずらかったのかもしれませんが、明菜はいまだに、その子の死を知らないと思いますよ」(明男さん)

 さらに、妹の明穂(46)も3年前に大ケガを負っていたという。
「明穂は交通事故に遭ってしまい、右の踵を大ケガしました。手術を3回も受けて、もうハイヒールなんか、とても履けなくなり、足が不自由で引きずるようしか歩けなくなってしまいました」
 愛した親戚の女児の死、妹の事故…。そして、父・明男さんも昨年秋、明菜と同じ帯状疱疹に苦しんだという。
 だが今は完治させたという明男さんは、父として明菜にエールを送った。
「家族全員、いまでも明菜を応援しているんです。『お父さんたち家族は、いつまでもみんな明菜の味方だから、明菜頑張れ!』、そう明菜に伝えてくれませんか」
 父からの“渾身のメッセージ”。明菜よ、家族のためにも、早く前向きな一歩を踏み出してーー。

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