「20年前、私なんかが休業宣言するのもおこがましくて、そっと日本を出て行きました。今回、取材を受けたのは、私が生きていることをみなさんに知らせたかったからなんです(笑)」にこやかに微笑むのは、マッハ文朱(54)。
彼女が、週5本のレギュラー番組を抱えていた芸能界から姿を消したのが、20年前。留学していた米国の大学で知り合った台湾系米国人の国際線パイロット、ロバート・チャン氏(56)と93年に結婚して、海外移住したのだ。今回、久しぶりに日本に戻って暮らし始めたマッハに、ここに至るまでの“華麗なる日々”を聞いた。
最初の5年を台湾で過ごしたマッハ一家は、夫の転勤で米国へ。ここから15年に及ぶ米国暮らしが始まった。家を購入したロス郊外のマリブは、ハリウッドスターも暮らす高級住宅地。庭とプール付きの家が当たり前だ。
「娘2人は、公立小学校に通わせました。場所柄、メル・ギブソン(57)のお子さんも公立に普通感覚で通っていたんですよ。自ら車でお子さんを送り迎えしていて。小学校では、親がボランティア活動を課せられるんです。ギブソンさんと一緒に校庭を見回ったり、子供同士を自宅に外泊させ合うこともありました。たとえスターでも子育てに必死で取り組んでいるんです。ママ友ですね(笑)」
その後、次女がテニスを本格的に始めるため、一家は通学に便利なオハイに引っ越す。この移住が、娘だけでなくマッハ自身にも意外な転機をもたらすことにーー。
「新居の近くで、スポーツバーの物件が売り出されていたので、“新しいチャレンジをしてみたい”と買って、私がオーナーになって、スポーツバーをオープンさせたんです」
なんと70席もある大きな店。最初は言葉が通じなかったり、お客さんや従業員とのやりとりなど苦労の連続だったが、気がついたら10年たっていたという。店はいまでもにぎわっている。トム・ハンクス(57)やチャーリー・シーン(48)も来店する。
現在、移住のきっかけになった次女・友基さんは、世界大会で優勝し、全米1位になるなど、有望なテニス選手に。
また長女は、現在、宝塚歌劇団星組で男役を務める桃堂純。マッハが日本に帰国したのも、長女の宝塚入りがきっかけだった。
とはいえ、長女の世話だけに明け暮れているわけではなく、マッハ自身も再び輝きたいという思いが湧いてきたようだ。この秋から、本格的に日本での芸能活動を再開する。
「子育てが落ち着いたら、マッハ文朱としての血が騒ぎ始めてしまって(笑)。娘たちも主人も『好きなことをやったら』と言ってくれました。次女は『マミーは、オンボロの中古車じゃない。プレミアがつくビンテージカーだよ』って(笑)」
家族の強力なサポートを得て、“凱旋帰国”したマッハは、20年前より輝いて見えたーー。