’82年、大阪のボウリング場の1階の片隅を借りて開校した「吉本総合芸能学院」(NSC)。ダウンタウンを皮切りに、今や毎年1000人以上が入学し、明日のスターを目指して学ぶ若者が後を絶たない。そこでスターとなったNSCのOBに、当時の思い出を語ってもらった。
陣内智則(39) 大阪・11期
「最初はもうダメやって思いました。全国から面白いやつが集まってるし、えらい世界に来たなって。在学中から中川家はすごいと評判でしたね。ネタもしっかりしてるし、礼二も当時であのクオリティ。『こんなん無理や、かなわん』と思い知らされました。出席も厳しくなかったので、漫才のネタ見せやオーディションのときだけ行ってました。当時は全然ウケなくて、ネタ見せも緊張して、売れるかどうかもわからず、お金もなくて、ただただ自信がなかった暗い時代。絶対に戻りたくない。だからこそ、今頑張れるんです」
ピース・綾部祐二(35) 東京・5期
「ネタ見せの授業はありえないほど恥ずかしいし、緊張します。自分が考えたネタを人前で披露するなんて味わったことない経験ですから、それが無理で半分以上やめていきます。僕はラッキーなほうで、最初にやったネタでものすごいウケて味をしめました。出席しないとライブの出場権をもらえないので、週5できちんと授業にも出席。僕らのときはサンダルで授業を受けたら即丸刈りとか、吸っちゃいけない場所でたばこを吸ったら作文用紙300枚の反省文とか、とにかく厳しかった。二度と戻りたくないけど、NSCがなければ今の自分はいないと思います」
デニス・植野行雄(32)、松下宣夫(29) 東京・15期
植野「当時は『才能とか関係ない。努力したら売れるんだ』って根性論を押し付ける先生、下ネタを叫びながら踊るラッキィ先生、自分で歌を作りながらトライアスロンの選手をしている“シンガーソングランナー”という肩書の先生など、講師の先生に謎が多かったですよね」
松下「ネタ見せの授業で優秀だと選抜クラスに入れて、少数精鋭でストイックに教えてもらえます。しかも、在校生代表のライブに出場できて、実際にお客さんの前でネタできるのは実践的でした。卒業できなさそうな同期がハーバード大卒やったってわかった瞬間、『それだけでおもろい』って卒業できたのは、ビックリしましたけど(笑)」