昨年12月5日、中村勘三郎さん(享年57)が亡くなってから1年が過ぎた。勘三郎さんの姉である女優・波乃久里子さん(68)が、闘病中の“きょうだいの会話”を、初めて本誌に明かしてくれた。

「がんが発覚したとき、私は本人の口から聞こうと思って、朝6時に都内の病院に行ったんです。弟はちゃんと洋服を着て、窓のところでぼーっと座ってましたよ。
私の顔を見るなり、『あー姉貴』って。弟はいつも私のことを“お姉ちゃま”と呼ぶのですが、なぜかこのときだけは、“姉貴”と。この一回きりでした。『俺、がんなんだよ。それほど長生きできると思ってなかったけど、こんなに早く逝くとはな』って言うから、『死ぬわけないじゃない』とすぐに否定したんです。がんはまだステージ1だったのですが、『僕、飛んじゃったんだよ』って。がんの転移があったみたいで。私は大丈夫だって励ましたのですが、『いやいや、もうダメだよ。だけどお願いだ。2人の息子を頼むよ』と言われたんです」

 このときの会話は、勘三郎さんの波乃さんへの“気遣い”だったと、彼女は振り返る。

「実は、父(十七代目中村勘三郎さん・享年78)が’88年4月に亡くなったとき、弟に『お姉ちゃんをお願いね』と遺言を残していたんです。普通、弟に頼みます? ひどいでしょ。姉として面目まるつぶれ(笑)。だから、弟が私にも同じように『息子を頼むよ』と言ってくれたんです。あぁ優しいなと思いましたね。だから、『子どもたち(勘九郎・七之助)だって、もう立派なんだから。だいじょうぶ』って。
弟は病室でもあくまで明るくて、私も死ぬわけないじゃないかと思って安心して病院から帰ってきたんです。7月27日の手術も大成功でした。弟は手術が終わってからすぐ『死なぬ、死なぬ。魂魄この土にとどまって……』と忠臣蔵六段目の勘平のセリフを口にして、『これじゃ、(手術後なのに)声が大きすぎる?』とお医者さんを巻き込んでお稽古を始めちゃって。でも誤嚥が原因で肺炎にかかってしまって……。その後、歌舞伎座で六段目を見たとき、弟が言った『死なぬ……』の台詞のところで、思わず泣いてしまいました」

2人の“最期の会話”は10月のことだったという。そのころ、勘三郎さんは声がほとんど出せない状態だったが、姉に語りかけることはやはり芝居の話だった。

「私が行くと新派の話。『この病室の様子を、新派の芝居にすればいいよ』とか。自分の闘病生活も、弟にかかると芝居になっちゃうんですよ。『じゃあ私、看護師さんになる』って言ったら、手をヒラヒラさせながら『ダメダメ』と。芝居が好きで、最後まで生きる希望をもっていました。あんな弱虫だった人が、強い男でしたね。あれは見事でした。私は妹と約束をしていました。『元気になるまでは弟の症状について、何も言わないようにしよう』って。
私が舞台で博多に行っていた、11月25日の千秋楽の日に妹から『いつ帰っていらっしゃる?』というメールが来たんです。『1日延ばしてもいい?』と返信すると、『早く帰ってきてほしいなぁ』と……」

 そして、昨年12月5日、稀代の名優は帰らぬ人となった。

「弟は本気で人を愛したし、本気で笑って、本気で泣いて、本気で怒って。全部本気の人でした。私は今も弟が亡くなったと思ってはいません。だからまだ仏前に手を合わせていないんです。手は合わせられませんね……」

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