「演技中、大きな失敗もなくて『これはやった!』と確信しました。夜中に1人でスタンディングオベーションしちゃいましたよ(笑)」
 と笑顔満開で語るのは、ヒット曲『あずさ2号』で知られる兄弟デュオ狩人の兄・加藤久仁彦(57)。

 2月1日にスイスで行われた、若手バレエダンサーにとって最高峰のコンクールと言われる「ローザンヌ国際バレエコンクール」で、3人の日本人が入賞を果たした。6位に入賞した加藤三希央くん(18)は、加藤久仁彦の次男だ。三希央くんは4,5歳のころ、兄とともにバレエを始めた。最初は遊び半分だったが、小学校高学年になると全国クラスの大会で優勝するなど、才能が開花。

「そのあたりから、本人もバレエダンサーの道を意識していたようです。『集中力がある、のみ込みの早さが抜きんでている』と、先生方からお褒めいただくようになりました」(加藤・以下同)

 そして、三希央くんは’10年に「全日本バレエ・コンクール」で総合1位に輝き、モナコの王立グレースバレエアカデミーに留学が決まる。実績が認められ、3年間の授業料が全額免除、という特待生だった。それでも、渡航費用や保険料など、バレエ留学には3年間で約1千万円の費用がかかるという。けっして家計に余裕があるとはいえない状況だったが、夫妻は次男をモナコへ送り出すことを決意した。だが、その留学を半年後に控えた’11年3月、東日本大震災が発生。福島市在住の家族は無事だったが、三希央くんは数日後に予定していたニューヨークでの国際大会出場を断念せざるをえなかった。

「そのときは、『家族を置いて1人では行けない』とNY行きは諦めました。
モナコのアカデミーには’11年9月の入学が決まっていたのですが、本人はそれも震災のことでためらっていたようです。そのとき、妻が息子の背中を押して、行かせることにしたんです」

エールを受けて、家族から旅立った当時16歳の三希央くんは、遠く離れたモナコでどんな日々を送っていたのか。
「ずっと、何も親に言ってこなかったんですよ。それが入学して1年経ったころ、妻にそれとなく『パソコンがほしい』と言ってきたんです。子供ながらに、親の経済状況なんかを考えていたんだと思います。『それくらい早く言ってくれよ~』って思いました。彼もほしい物はたくさんあったと思います。でも、『震災後で贅沢なんてできない』と考えていたようで。気持ちは震災直後のままの留学でしたからね。年に2回はアカデミーの休暇に帰国できるのですが、ヨーロッパのお金持ちの同級生は故郷に帰るのに、『自分は帰国しない』と言ったこともありました。渡航費を気にして……。そんな子なんです」

 今回の入賞で、三希央くんはモンテカルロバレエ団への入団が決定した。

「三希央はこれからプロになって、真価が問われると思います。成長して、立派なプリンシパル(=バレエ団のトップクラスのダンサー)になってくれるといいですね」

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