昨年『NHK紅白歌合戦』に50回目の出場を果たし、それを機に“紅白卒業”した北島三郎さん(77)。私生活では、妻・雅子さんと今年で結婚生活55年を迎える。

 雅子さんは、北島さんが18歳のときに上京し住んでいたアパートの大家の娘さんだった。雅子さんと恋仲になったころの北島さんは、音楽学校に通いながら、東京・渋谷の飲み屋街でギターを抱え“流し”をしていた。生活は不安定で、いつも金欠状態。着るものも1着しかなかったという。

「そんなある日、嫁さんに『もしも俺たちが結婚したとして、俺が(歌手として)うまくいかなかったら――』と言うと、即座に『大丈夫! 2~3年は私が食べさせてあげるから』と言われたんです。当時の私にとって、この言葉はまさに百人力で『結婚するならこの娘しかいない』と思ったね」(北島さん・以下同)

 それから55年、歌ひと筋の北島さんに代わって、雅子さんは家庭を守り、5人の子供(2男3女)を育てた。それだけでなく、「歌手・北島三郎の妻」としても、北島さんを支え続けてくれたという。

「デビューした当時はテープをしょっちゅう投げにきてくれてね。私が歌っていると『サブちゃん!』と言ってテープを投げてくる。『あれ? どっかで聞いた声だな』と思ったら嫁さんで(笑)。夫婦でテープを引きながら歌っていた時代もありました」

 最後の紅白で歌った『まつり』をはじめ、北島さんは「原譲二」のペンネームで作詞作曲も手がけている。新しい曲ができると、真っ先に雅子さんに聴いてもらうという。

「気に入ると『いいじゃない!』って褒めてくれるし、気に入らないと、スーッといなくなって、居間でテレビを見ている(笑)。なぜか彼女が褒めてくれた曲はヒットして、そうでない曲はパッとしない。だから、私にとって嫁さんは“最強のモニター”ですよ(笑)」

 雅子さんには感謝の気持ちでいっぱいだが、自分の世代は「ありがとう!」と口に出して言うのが照れくさいと、北島さんは苦笑する。

「だから、自作の『妻よ』『夫婦一生』『ふたり咲き』……こうした歌に『ありがとう』という嫁さんへの感謝の気持ちを託しています。夫婦のこれからについては、お互い残された時間はそう多くないですから、これからも仲むつまじくやっていきたいと思っています」

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