「家族の協力とかそんなことより、みなさんの応援のおかげで、結弦も今回、金メダルをいただけたのだと思っています。本当にありがとうございます」
そう言って、仙台の自宅を訪れた本誌記者に頭を下げたのは羽生結弦選手(19)の父親だった。息子とは違ってやや小太りの体型だが、物腰がとても柔らかく、色白なところはよく似ていた。
羽生はソチ五輪の後、3日間だけ帰国。故郷の仙台で家族が水入らずで過ごせたのは、市内のホテルでのたった1泊だという。その後は、この2年ほどホームグラウンドにしているカナダへ母親と2人で旅立った。父と姉は仙台に残っているが、家族別々の生活は寂しくないのだろうか。
「それは本人が、スケートに専念するために海外の生活を選んだわけですから。親としてはそれをかなえてあげたいと。本人はカナダでの生活にとても満足していて、スケート三昧の生活を謳歌しているようです。地元のリンクなどへの挨拶は、3月にある世界選手権の後のことです。今はまだシーズン中ですから、練習に集中するために、ホームのカナダに早く向かいました」
だが短い日本滞在の間にも、羽生は地元に献身を続けていた。下村博文文科相と歓談してこう訴えたのだ。
「東北6県で通年使用できるスケートリンクが1つしかありません。24時間ほとんど埋まっている状態で、なかなか練習時間が取れません。そういう環境で、練習の継続は難しいため、カナダへ行く決心をしました。これをきっかけに、東北のスケーターの方々にご支援をお願いします」
本当は、羽生はカナダではなく仙台で練習したいという気持ちが強いようだ。彼は金メダルを取った報奨金600万円を、東日本大震災の地元被災地への支援などに寄付することも明かしている。父は、息子の胸の内をこう話す。
「ええ、(寄付は)本人が言いだしたことです。何も、親がそうしろと言ったわけじゃないんですよ。地元被災地のみなさんにも応援していただき、励みになったと。そのお礼なんだと思います」
羽生の父親は、石巻市にある中学校の教頭先生。勤務する中学校は石巻漁港から約1キロの場所にあった。震災の津波では校舎の1階部分が水没、生徒3人が亡くなるという悲劇を生んだ。父の仕事について、実家の近くに住む住民に話を聞いた。
「お父さんの中学校は、今は近くの小学校の校庭にプレハブの仮校舎を建てて、間借りしながら授業をしているそうです。生徒さんたちにしてもみんな被災して、避難所生活で大変な子供さんも何人も預かっているんですよね。そんななかで、教え子さんたちに愛情を持って献身的に仕事をしているお父さんの背中を見て、結弦くんも被災した地元のためにという思いを強くしたのでしょうね」
自分のスケートのために家族バラバラの生活を受け入れてくれ、いまも復興に尽くす父の姿が、羽生に“愛の献身”を決意させたのだろう。
「すべては地元の被災地のために――」。
金メダリスト・羽生結弦の願いが届き始めようとしている。